SNSと政治離れモヤモヤ
10年以上もTwitterで政治的な発言を続けて、悪意のある言葉に身を削って反論し続けたって、日本もTwitterの言論環境もこの有り様なわけじゃん。それに疲れきってしまうことを悪く言う権利が誰にあるんだろう。
もちろん間違ったことを言い出したら批判するけど、例えば個人的に知ってる人がもう政治や社会の話題には言及せず距離を置きたいと言い出したら、怒るより心配になるし、責めるんじゃなく慰めたり元気付けたりすると思う。そしてゆっくり休むことを勧めるだろう。
すべての人にそのように接することはできない(し、たぶん正しくもない)けど、例えば「無関心は加害と同じ」という言葉は、闘い続けて疲れきって戦線離脱する人にどう響くだろう。「無関心でいられるのはマジョリティの特権」というのも、本当に常にそう言いきれるのかな。
もっと多くの人に関心をもってほしい、行動してほしいと思う場面は私だって腐るほどあるけどさ。こんな世の中だもん、そりゃ政治疲れもするでしょ。最初から上手くやりこなすことだけを考えてる人ももちろんいるけど、真摯にやろうとした結果消耗しきってうんざりする人も当たり前にいるよね。