『ヴァチカンのエクソシスト』
評判通り面白かった。なによりホラー初挑戦のラッセルクロウが素晴らしいし、新米神父とのバディ感もよきよき。
ちなみにラッセルクロウは怖い映画が苦手で今までホラーに出たことなかったらしい。かわいいかよ。
ただ、これは作品自体への不満じゃないのだけど、そろそろクィアやなエクソシスト映画やらないかな?と思った。
エクソシストものって結局は自分との戦いが重要なんですよね。悪魔が付け入るスキである過去の過ちや後悔と向き合えるのか、それに惑わされず信仰の力で勝てるかって話だから。
そんで神父はみんなシスヘテ男性なので、どうしたって過去のトラウマが女性との関係になりがちでバリエーションが少ない。
現実にはクィアな神父も出てきてるんだし、信仰のため恋人を拒否したことを悔いているゲイのエクソシストとか、性別移行前の出来事がトラウマになってるトランスのエクソシストをやったら絶対かっこいいと思うんだけどな~。
そんでクィアな我が子を悪魔の仕業だと思い込んだ親に呼び出されて「この子に必要なのはprayじゃない、PRIDEです」とか言うの。
見たい!待ってます!
『ヴァチカンのエクソシスト』一点だけ明確に批判されるべき部分(ネタバレ)
とりついてる悪魔の正体を調べていく過程で、かつて行われた異端審問は神父にとりついた悪魔の仕業だった!という展開があって、そこは完全にダメだと思った。人間の醜さを悪魔のせいにすんなや。
神父による性虐待とヴァチカンによる隠蔽もちゃんと扱っている作品なだけに、そこは本当に残念だった。
異端審問の要素を入れるなら「かつて神父が悪魔より醜い時代があった…しかし今、我々の信仰はもっと強い」な感じでかつて教会が迫害した存在を受け入れる方がずっとよいと思う。つまり、やっぱクィアなエクソシストが必要ですね!?