#送り雛は瑠璃色の 本編を隅々まで堪能したので、巻末の短編「夢草枕、歌枕」を遊んだのだが、これにも唸ってしまった。普通の意味でのゲームブックではもはやないがその形式を踏襲して短編小説でも詩でもない文芸作品が生まれていたのかという驚きと、いやこれはむしろ最古の文芸形式の姿に近いのかも、とも。
『送り雛は瑠璃色の』を今さらながらに読んだ理由は、作者が後書きで天沢退二郎さんの短編集『闇の中のオレンジ』を引き合いに出していると知ったからなのだった。今読んでこの箇所がよく理解できた気がする。(「送り雛」本編よりも「夢草枕、歌枕」が天沢さんの詩に近いとも感じた)
それから、これは作者の思緒さんが意図したことは分からないが、天沢さんがオレンジ党シリーズで導入した「ときの魔法」という要素が、この『送り雛は瑠璃色の』の中でよりいっそうその名にふさわしいものになって物語に組み込まれているように思った。初めて読み終えたときここに一番心動かされた。
「夢草枕、歌枕」は、一度だけやって受け取ったメッセージを自分の中に寝かせておくことに。「夢十夜」みたいな短編小説としてすべての話を読むことはなぜだか躊躇われる。“中段の空“も考えないと。
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それから、これは作者の思緒さんが意図したことは分からないが、天沢さんがオレンジ党シリーズで導入した「ときの魔法」という要素が、この『送り雛は瑠璃色の』の中でよりいっそうその名にふさわしいものになって物語に組み込まれているように思った。初めて読み終えたときここに一番心動かされた。