北米英語のfutonとhibachiの意味を聞いてから、日本語学習者の外来語(カタカナ語)が苦手だという気持ちが分かるようになったような気がする。
https://en.wiktionary.org/wiki/futon#/media/File:Futón_Matrimonial.png
https://en.wikipedia.org/wiki/Hibachi#/media/File:Hibachi_style_grill.jpg
日本語学習者はよく、外来語(カタカナ語)が難しい、という。しかし音声的にも外来語が和語より複雑だということはないと思う。おそらく、(元の単語を知っているのだから)簡単なはずだという期待があるのに、和語とあまり変わらない程度に難しいから、余計に難しく感じるのではないだろうか。あと、発音や意味が「歪められている」ことや、「真の日本語ではない」ことから抵抗感があって学ぶ気が薄れるのも原因かもしれない。なんで「まちがってるほう」に合わせなきゃいけないんだか、という不満があるのではないだろうか。
これめっちゃわかる。hibachiの意味にも腰抜かしたことあるけど、ニポン語の「ふ」ってfともhとも言えないオトなので外国語での音写無理〜ってなる。
なのに、ニポン語教育界では、ニポンの外来語(カタカナ語)理解への強要が強すぎるんだよね。
例えば cake を英語の /keɪk/ や、母語の音写で捉えてる非ニポン語話者に対してわざわざ /kēki/ のオトを覚えさせるって、教授優先度としてどうなんだろうっていつも思ってる。
あれは、せめて初学の時期にはニポン語由来のオトに寄せて発音はだいぶ変わります、という知識だけじゃあかんのかね。音写や発音の強要、初学段階でどこまで必要なんだろ?
必須の頻出語以外は当面ルー語的にそこだけ「英単語」でもええやん。初学段階でギュウギュウ矯正しようとして躓かせるのはホントに阿呆らしい。
その上、本家には存在しない和製英語もあるわけで、むしろそれこそ異国で意味がズレはじめた hibachi 的なヤツだよね。
和製英語に関しては外国語由来の「ニポン語」として覚えといた方がよいとは思うけど、それでも、必須の語って学習基本単語にどこまで含むべきかっていうと、そんな膨大でもないと思うんだよなあ。
#日本語教育 #外来語
QT: https://fedibird.com/@pot/113410775200453044 [参照]
で、南亜細亜とニポン語学習における hibachi 的なのの最たるものは「カレー」だよな。
ニポン語だと、ニポンで言う米かパンにつけて食べる南亜細亜のスパイシーでグレイビーなアレらも、ニポンで魔改造されたニポン式カレーも、その他各国独自に改造されて広まってるのも各種「カレー」だけど、こっちでアレらを◯◯カレーなんてほぼ呼ばないわけで。
総称としての「カレー」は別の言葉が主に使われる。
ニポンに限らずアレらが世界的に curry と称されてるのは彼らも知ってるし、それに抗ったりはほぼないけど、ニポン語の文章に出てきた「カレー /kareː/(not curry /kʌɹ.i/)」について説明すると、クスっとしながら「ここではカレーなんて呼ばないのにね」って言う子もちょいちょいいる。