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Xで「女性が嫌な目にあった」話(トランスジェンダーいっこもでてこない)に、引用で「それは本当にひどい、そしてもしトランス女性が」みたいな感じでトランスヘイトくっつけてる人を何人も見てほんまさあ………ってなってる。
なんかヘイターって何の話題でもその話に持ってくよね。うちの父親も、全然マジでいっこも関係ない話に唐突に「〇〇人は」とかねじ込んでくるし。
「彼らとは違う我々」を立ち上げるために差別に依存していて、だから「彼ら」の話をせんことには自分のアイデンティティも維持できないのかもしれないとか思ったりする。

まあだいたいテレビに向かって何か言ってますけども…あれは周りに誰もいないときも言ってんのかなぁ

仕事から帰ったらウヨ父がテレビに向かって普段の倍くらいハッスルしとると思ったらなんかのスポーツで韓国と日本の試合してる?

セクシャルなものを楽しむのに「あいつら」が怒るかどうかを基準になんかしてないでちゃんと自分と向き合ってセクシャルを楽しむべきだろ!自分はこの表現がたまらなく好きとか、こういうところに興奮するとか、そういうところをしっかり噛みしめろ!なんでそのセクシャル表現から目をそらして「あいつら」のほうをチラチラ見るんだよ!と思うんだけど、その人たちにとっては「セクシャル表現の楽しみ」より「怒る(であろう)"あいつら"のことをみんなで叩く楽しみ」のほうが快感なのかもしれない。

自分が大人になっても未だに「PTA」が自分の敵みたいに思ってしまうのね
ていうか「PTA」が何なのかもしかしてよくわかっていないのではないかという気もする

ちょっとセクシャルなシーンが出てくる漫画の感想ブログを見てたら、いちいち「これはPTAが怒るぞ!w」「これはPTA案件!w」って一つの記事にPTAPTAPTAPTAって何度も出てきて引いてしまった。
なんかさ…セクシャルなシーンそのものより、そういう「PTA」なり「フェミ」なりがキーッてなることをやっちゃうwみたいなことを楽しんでる人はツイッターでも時々回ってきてたけども、セクシャルなシーンのたびにそういう存在が頭にチラつくの、嫌じゃないんかな。

あーでもトランスヘイターたちは本来多様な女性を、「本物の女はこう」って言って狭めたがるよね。それはフェミニストではないと思うんだけど自分たちをフェミニストだと言う人もいて、フェミニストが「こういう身体を持ちこういう振る舞いをして他人から見て女だと判断される姿をしている女が本物の女」って言うのフェミニズムってなんだろなってなるけども…

人間はこんなに多様なのに、トランスジェンダーの人間はみんな自分たちが想像してるような典型的な人たちだと思ってしまうのは、どう考えても偏見だし、シス/トランスに関わらずマジョリティはマイノリティのことそういうふうに思いがちだよね。

トランスヘイターって自分が想像してるトランスジェンダー像で話をするから、現実の話にならないんだよね。想像上のトランスジェンダーの話をし続けても現実は何も解決しないんだから現実の話をしようってツイッターで何度も言った気がするけど、あの人たちはあれだけ「現実のシス女性を守るため」と言いながらトランスジェンダーの現実に関心はなくて、自分たちが持ち寄った想像でできあがった藁人形を掲げてワーワー言ってるだけ。

たとえ「純粋で素朴な質問」だとしても、相手を傷つけたり相手に悪意と取られる可能性の高い質問なら、相手にぶつける前によくかんがえなさいね、でしかないわ。動機が「素朴」なら何言っても許されるはずというのはどっから来るんだ?

たいていのヘイターは「差別じゃない」ていで差別したいんだよね。自分が悪いということになるのは嫌だから?私はただこんなにも「素朴」におかしいって思ってるだけなのにみんなでいじめる、ってことにしたいのか?オエ。
いっそ「確かに差別かもしれないが、差別は悪いことではない」とか主張すればいいのに。良くはないけど、「善良で素朴」の皮はかぶっていたいけど差別はしたい、みたいなのほんとに気持ち悪い。

「素朴な疑問」が本当に気持ち悪い。相手をやり込める気で言ってるくせに、指摘されると「素朴な疑問なのにひどい🥺」と被害者ぶって。
なんなら批判されて「この程度のことを聞くだけで差別なんて🥺」「それじゃ何も言えないし理解したくてもできない🥺」って言うまでがワンセットなのかな。
なにが「素朴」だよ。

めちゃくちゃよい。
有料記事がプレゼントされました! 11月1日 08:01まで全文お読みいただけます。
(寄稿)カミングアウトとは 哲学者・三木那由他:朝日新聞デジタル
digital.asahi.com/articles/DA3

トランスのみんな、ほんとにしんどいし辛い時期だと思いますが、死なないでほしい。間違っていることが間違っていると判決されただけだから。これまでもこれからも、たくさんの人生のハードルがあると思うけれど、そのなかのハードルがひとつなくなっただけ。内外性器の手術を受けたい人は、法の要求なんて関係なく、これからも受けたらいい、それだけです。ただ、もう特例法の要件を満たすためだけに必死に働いて手術をする必要はない。ほんとに喜びたい。

頼らないって書いたけどしかし100%自由になっているわけでもないしなれるわけでもないよなぁともぼんやり思う。社会の基準なんかしらねー!で生きていけてるわけではない。何か言われたら傷つくだろうし。ただ「他人が私をどう見るか」の前に、「自分は自分の見た目が好き」という気持ちを持てるようになったのは私にはなんだか奇跡みたいな大転換のようなそんな感じ。

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当時はいろいろ苦しかったので、受け入れられる安心感は本当に私を救ってくれたと思う。かれらがいなかったら私はどうなっていたのかな。想像もできない。

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大学生くらいの頃トランスの男友達と一緒にいても絶対私だけ女に見られてたのも嫌だったけど、どうも私はそういうことに反抗?して思い切り逆に行く傾向があるんだよな、じゃあ逆にスカートとか履いてメイクしてネイルしてやんぞオラァみたいな。
仲の良いかれら自体は私がどんな格好しようが笑っておまえはおまえだよと言ってくれていたのでいい友達を持ったんだよな。
何もかもラッキーで今の私がある。本当にありがたい。おかげで生きています。

しかし社会では「美醜のものさし」がものすごく強くある、顔や見た目関係ないところにもものすごくある、なぜそういうのに晒され続けながら生きねばならぬのか。私は人から見た目を褒められたことがほとんどなかったので自分の見た目がずっと気に入らなかったけど、それが逆に自分の見た目の良さを他人のものさしに頼らない今につながった気がする。とてもラッキーなことだけど。

私もここ数年で「自分のものさしで自分の見た目が好き」になってきてすごく気分いい。他の人から見てどうかとかは知らん。自分は自分が好き。

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