「差別するなと言われる」ということを「個人的に親しく付き合えと言われている」とマジで思ってる人はいて、トランスヘイトが吹き荒れだした頃、ツイッターで「個人的に仲良くしろと言っているわけではない」とツイートしたら「そうなんですか!?」とリプライが来たことがある。
「告白を断ったら差別と言われる」と言う人のうちいくらかは本当にそう信じているのかもしれないと思うと頭が痛い。
「女性スペースを守る」とか言ってる人たちの中には、「いや向こうが差別するなって言ってるのは個人的に親しくしろって言ってるわけじゃないのでそこの"不安"を混ぜて話さないでください、向こうは"属性を理由に排除したり人権侵害したりするな"という主張です(それはそれとして、私はトランスジェンダー女性を"女性スペース"に入れないことは人権侵害に当たらないという考えなのですが)」みたいな人もいるんだろうか…
性的少数者だけでなく多くの何かしらの当事者コミュニティでは必ずと言っていいほどに起きる出来事なのだけど「エリート主義」の問題が生じる。エリート主義というのは「選ばれし条件を満たした者だけが○○を名乗れる」という姿勢のこと。
例えば…
「異性と少しでも付き合った奴は同性愛者じゃない」
「性行為したことがある人はアセクシュアルじゃない」
「性別適合手術をしようともしない人はトランスジェンダーじゃない」
「インターセックスは男と女だけで、グラデーションなんかじゃない」
こうした考え方は排外主義的で優生思想的なので当然やっぱり人権モデルとしては支持されない。エリート主義者は「この定義だけが当事者の正解なのであって、それ以外の理解は偏見だ」と言い切ってしまうことで、コミュニティに踏み絵を要求し、それが人権侵害になっていることに気づかない。当事者コミュニティにとって大切なのは「包括性」と「人権」だというのはつねづね肝に銘じておきたいところです。
@ayano_ayano こちらこそ素敵な漫画をありがとうございます✨
BT,「不躾に不躾を重ねた想像力のカケラもないクソくだらない言い草なのに褒めてるテイ」マジそれよ😂👏
出生時に割り当てられた性別とは異なるバイナリーなジェンダーアイデンティティを持っているキリスト者。