Twitterを開くとイスラエル・パレスチナ関連のことをきっかけにしたワードがトレンドに並び、それを見るとインプレッション稼ぎの無関係な投稿や、映画や漫画の画像を使った大喜利のような投稿が散見されて、SNSでなにかを発信することの意味がわからなくなってしまいますね(Twitterに限らずどこも似たような感じなのでしょう)。
いくら善意や熱意をもって発信しても、そこに悪意や「笑いのネタ化」を被せて覆うことができてしまう、そういうシステムになってしまっていること、しかしそのシステムを使わなければ発信できない状況にある者もいるということ。言いようのない苦しさがあります。
「諦めたらそこで試合終了だよ」「大切なものは失ってから気づく」的なものが、あまりにも「名言化」しすぎていて、それらを本気で信じること/実践することができないままでいる。これもまた余裕のなさからくるものなのかもしれないですね。名言にして、つまり理想化して、絶対に実現不可能なものとして認識してしまえば、それはただ「唱えるだけで十分」なものになってしまう。そうしないと、もはや生活がままならない。私もそのひとりだと思う。余裕がない。大文字の「体力」がない。