自分が(これでも知識の集積のつもりで)書いたものに対して、何年もあとから検索してくる人が現れるのはむしろ望ましい、それこそがインターネットだ、という考えでずっとやってきたから、#マストドン の思想としてあるらしい「過去の発言は検索されるべきでない」にはやっぱり違和感がある。否、そういう永続的な記事は、マストドンとかではなく、ブログなどのより適切なよその場所でやれということなのか?
私としては他者・また自分による、「知識であるということが意識して書かれた」「ある程度纏まりのある有用な文章」が広く検索可能であると確かに嬉しいです。
ですが、私は主にマイクロブログ系サービスを、「この文章が後の人にも読まれると思っていない状態で書いた」「纏まりがなく、断片的で、集積には少々意味があるものの、あまり知識として価値があると感じられない」ものをちまちまと残す使い方をすることが多いです。(価値を感じるかは最終的に主観によりますが。)
そんな使い方をする身としては、自分の投稿が広く検索可能であると、それは検索汚染になりかねない考えます。マストドンの思想はこれに近いのかな、と思いました(あくまで憶測ですが……)
マストドン創始者は(永続的なものは)他所でやれ、と思っている訳ではなく、検索範囲の許可を求める世界で、検索不可の方がよい、と思っている人を優先する=安全側に倒す、という仕組みを取った結果、常に広く検索可能である、という選択肢がスタンダードでなくなった、というだけかなと思います。技術的に検索が広く可能である状態にすることが大変、という面もあるのかなと思います(憶測)
検索可能不可能の是非は簡単に決められませんが、fedibirdではぜひ公開・検索範囲を広くして頂ければ、と存じます。 [参照]
@bombstardast お返事が遅くなってしまいました。
もちろんゆふさんのおっしゃる通り、マストドンは「安全な側に倒す」を原則にしていると僕も思います。おそらく「忘れられる権利」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%A8%A9%E5%88%A )」あたりと関係がある気がします。
その上で、自分は検索されても構わないという人が、公開範囲を広く設定する、notestockのようなサービスを利用する、という形で対処することになるのかと思います。現状では。