書き忘れていたことを。ロムルスかお墓なのは、エイリアンのその先ではないから、リドリースコットはプロメテウスやコヴェナントでエイリアンに飽きていて、その先をやりたかったけど、エイリアンである以上エイリアンに足を引っ張られていた。と思う。そのために、チャレンジではあったけど、あの2作は俺には「エイリアンでないため」に駄作であったけど、じゃあお前らの好きなエイリアンをどうぞって出されたロムルスは完璧な現代エッセンスを取り入れたエイリアン映画だったけど、それは陵墓だったんだよ。エイリアンの先を、俺たちはどうにかしないと、堕落した続編商法になってしまう。アイソレーションはいんだよ。動機からして。ゲームだし。でも本流である映画でアイソレーションみたいなファンメイドをしちゃいけんのよ。この映画はエイリアンファンが、リスペクトとオマージュでコラージュされた最高の映画だけど、それだけに、それこそがかなしい。
炭酸の言葉だけど「隙あらば何かしら寄せてきていた」というのはその通りだと思う。
でも本当に面白かったんだよ。俺は嬉しい。でもこれは墓だったんだ。それがかなしい。エイリアンファンである俺にとっては、心の整理をつけるための映画だった。
エイリアンとかあんま知らん人、ホラーが好きな人とかにはぜひ見て欲しい傑作ホラーだし、劇場で鑑賞する価値のある、ドルビーシネマで観る価値のある映画だった(それはプロメテウスやコヴェナントにも言えるが)。
でもどうだろう。わからない。もしかしたら、エイリアンのままで、エイリアンの先を撮ってくれる映画があるかもしれない。それに、シリーズが続くということは、新規のファンを獲得できるということだから、こんなに嬉しいことも無い。けれど、そういう評価にばかり傾いてしまう。