『千鳥ヶ淵』にブリ大尽という単語(人物)が出てきて、サバじゃないんか、それとも氷見から伏見まできたのか? と思ったけど、丹後の伊根町もブリ港なのね。丹後半島も大概遠いが。呉服屋の名前も丹後屋。所作生活背景言葉の一つ一つに、俺の知識の不足や制作年代との乖離のせいか、大変にリアリティを感じる。つまり現代の俺から観るこの頃の時代劇は、ハイファンタジーやハードSFの様な、確度の高い異世界なんだな。
前帯や眉剃り等の知識(あるいは何を示唆するか考えられる読解力)は求められるが、それら当時の慣習と現実との乖離が。

『エルデンリング』もそうだったけど、制作も消費者も、現実と作品の継ぎ目の処理が甘いと、きっとこうした「確度の高い異世界の」確度の高さゆえに現実と乖離した上に知識が読解力が追いつかずよくわからないことを「よくわからない。わかりやすくしよう」と片付けてしまうんだろうな。

こうしてみると、なろう系の異世界って、異世界じゃないんだよな。異世界風世界なんだよな。寝ている間に見る夢みたいな、リアリティの欠落とリアルとの癒着、両方がある世界。

確度の高い異世界って、リアルとの乖離があるからリアリティがあるのよね。そしてだからこそ「よくわからないこと」がたくさんあって、それを読解するのが楽しい。
この「よくわからないこと」に対する読解を互いに省こうすると、ゲームの世界に来ちゃったとか、時間の巻き戻りで済ませる。読者プレイヤーの「読解」ではなく、ゲームのシステムや、巻き戻り前の記憶という作品側からの「説明」で済ます。
『エルデンリング』のつまんない点はここかな。テキストが「プレイヤーの読解素材」ではなく「制作側の説明文」でしかない。これは堕落じゃないっすかね。

炭酸が以前に似た様なことを言ってたな。アーカイブ探すか。

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プレイヤーとして読解に臨む以上、無垢な素材としての神話が必要なのに、その素材に既に書き手のバイアスが滲んでいて、どうしようもない。

炭酸「神話を語るのはプレイヤーであって、テキストの書き手であってはならない」
これマジでその通りだと思う。

「神話を語るのはプレイヤーであって、テキストの書き手であってはならない」
50hほどプレイした俺のこのゲームに対する評価を一言で表せている。
戦闘や探索、ギミックの謎解き等、プレイングは凄い面白いが、それを掻き消すほどに脚本がダサい。

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