格ゲーマーの使う"嫁ゲージ"という言葉が嫌い。愛しているはずのパートナーをバカにした語彙だから。
家族と互いに責任を果たしあいながら、同時にプライベートな時間も確保しあう、愛情と共に成り立つ信頼関係を、「嫁ゲージ管理」と言って、ステロタイプな"嫁"(この呼称自体、そもそも嫌で俺自身使わない)という偏見に乗っけて茶化して笑いを取る様は、結構かなりダサくてキツい。
今年のクーペは"嫁ゲージ相談所"というチーム名のせいで、15年くらいファンキッズしてたプレイヤーの墓を建てた。最近はときどの墓も建てた。応援していた、期待していた、好きだったゲーマーの墓を建てるのはしんどい。プロアマは関係無い。プレイに痺れてファンになったらこんな酷い人だったんかっていうのはツラい。もっとちゃんとカッコつけて生きてくれよ
じゃあ俺がすべきは、楽しかったコミュニティを俺みたいなマジョリティ属性マシマシな人間じゃなくても楽しめるように少しでも努力することじゃないのか? って考えている。
でもそれは非常に困難で、例えばたぬかなの話をする時に、圧倒的にホモソーシャルなゲーマーコミュニティの中で女性というだけでかかる負荷が たぬかなの立ち振る舞いにどう影響したかとか、カワノの例と比較してもそうだど、スキャンダルに対する耐久性が圧倒的に女性が低いこととか、そういう性別による権力勾配を理解できずに「叩ける女」としてしか たぬかなを消費できないゲーマーがすぐに変わるかっていうと、変われる人間であっても、体感で数年単位が必要なんだよな。
諦めずに続けられるか結構厳しいと思う。俺がコミュニティに拒絶される可能性もあるし、俺自身がそういう考えを持ちながら、コミュニティに属することがしんどくもある(俺自身、格ゲーマーなのかって言われると違う気がすんだけど、帰属意識は格ゲーマーコミュニティにある)
今朝のツイートも関係しているし、つなげておく。
https://fedibird.com/@blotzky/110398659676834405 [参照]