公に向けた作品で現実に存在するものを描くとき、覚悟や考証やリスペクトは必要だと思うほうです。たとえば以下はビデオゲームの例ですが:
未訳だけど、矢倉喬士氏や新元良一氏が日本語で紹介している“Playing Metal Gear Solid V : The Phantom Pain” by Jamil Jan Kochaiは、アフガニスタン系アメリカ人がMGS5をプレイしながら親族や親族から聞いた話を思い返す自伝的短編小説。
newyorker.com/magazine/2020/01
モンゴル系中国系アメリカ人SF作家のS・チョウイー・ルウ(“Mother Tongues”に邦訳あり「母の言葉」「沈黙のねうち」)は、文永の役を題材にしたゲーム『Ghost of Tsushima』で「モンゴル族を殺せ!」みたいな台詞が聞こえてギョッとしたとかつてツイートしていました。

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私自身はいくつかの属性に詳しいがために、創作の監修や査読と意見出しを頼まれたことも何度かあります。
大概「当事者だって千差万別だし、私は研究家として体系的に勉強しているわけではない。あくまでひとつのセンサーを通すだけだと考えてほしい」と釘を刺しつつ引き受けます。知らないことや想像できないことは責められないので。そしてノーチェックよりはフィードバックがあったほうがいいので。
そういう読書で心が傷つくことも当然ありますが、その傷つきや怯む感覚を言葉にして問題提起する人が必要だと思って、炭鉱のカナリア役をやります。

編集を通っていない作品(つまりネット小説や同人誌)に対しては自動的に感受性がオフになり、何を読んでも何を思うこともないのですが、世に出るものはある程度公益に対する責任を感じてほしいな。

カナリア役をやるときは意識してノーガードになるのでダメージ受けまくりですが、私は監修したり書籍解説を書くときはガードを下げます。それくらいしないと作家と作家が書くものの切実さを受信できない。書きかたや気づきかたはこういう憑依型以外にもあるとは思いますが、私はそういう感じです。

演技テクニックでいえばメソッド演技みたいな読みかた。

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