セバスチャン・バリー『終わりのない日々』(木原善彦 訳、白水社)をやや駆け足に読んだ。ややモヤモヤするところもあったが、ひとまずはハッピーな結末に安堵した。
本書は19世紀米国を舞台にした西部劇的な小説である。ただし作者バリーはアイルランド人。主人公はアイルランド飢饉の際に米国に移民した少年トマス・マクナルティ。彼は現地で出会った少年ジョン・コールと共に、まず鉱夫向けの酒場で女装して酌婦をし、成長すると軍隊に入って命じられるがままに戦うようになる。
トマスはジョンと関係を持ち、ネイティブ・アメリカンの少女ウィノナを助けて3人家族になる。最終的に脱走兵となったトマスはジョンの妻を装い、潜伏するのだが……。(感想つづきます)
hakusuisha.co.jp/smp/book/b624

(承前)バリーの祖父の大おじは、実際にアイルランド飢饉のとき米国に発った人。そしてバリーの息子は10代後半に父親にゲイであるとカミングアウトしている。つまり本書は、バリーが家族のために理想や願いを託した小説であって、当時のリアリティや倫理観に必ずしも沿ってはいない。
だからドラァグは楽しく、同性愛は引き裂かれず、ネイティブ・アメリカンの少女を守りぬけるのだ。しかし派手さは全然なく、朴訥とした語りが特徴である。娯楽作ではない。
ジョンやウィノナの考えや性格は、読者にはまったくわからない。検索するとやっぱり読者からそこに批判や不満の声も上がっていたようだ。ただし語り手のトマスが学がなく、コミュニケーションに不器用な異邦人であることを考慮すると、彼が他者の内面がほとんどわからないのも不思議はない。

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ちなみに白水社の日本版あらすじには私は不満がある。
舞台の当時は言葉や概念が存在しなかったから、トマスのセクシュアリティやジェンダーは本書では謎のままだ。はっきりしているのは女装がトマスに解放やめざめを与え、ジョンの傍らに堂々といられる安らぎを感じさせることだけだ。ジェンダーフルイド、ノンバイナリー、ジェンダー・ノンコンフォーミングかもしれない。
だから、あらすじの「勇敢な兵士でありながら女としてのアイデンティティーに目覚めたトマスによって、生き生きと語られる」という1文はバイナリー(男女二元的)すぎるし、なんらかのクィアであるトマスを限定的に語りすぎている。
木原氏の訳文は役割語を使わず、きわめてフラットな語りになっているのでそこは安心してほしい。

セルフ訂正。
>ジョンやウィノナの考えや性格は、読者にはまったくわからない。

正しくは、どんな人物かはあまり描かれませんが、トマスが窮地に陥ったとき、大事に思っていたのは双方向だったと判明します。そこまではトマスにとって彼らが大事であることしかわからない。

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