発達特性(ニューロダイバーシティ)とジェンダー/セクシュアリティの交差の話題で、本のオススメです。 横道誠『みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院, 2021) 

以下はかつてTwitterに書いて消した文章を元にしています。

高い言語化能力と分析力をお持ちの当事者による本で、セクシュアリティとジェンダーアイデンティティについての記述が結構あります。アイデンティティの“無さ”、あるいは流動的感覚ゆえに思い惑う体験がわかりやすく書かれていました。
サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで』(堀越英美訳、河出書房新社)で分析されたジェンダーやセクシュアリティの記述に少し引っかかりがあったのですが、本書には同書を追補する自論が書かれていて、個人的にはだいぶ納得しました。

また、トラウマ経験を“磨き”、ショッキングな芸術作品ーーラヴクラフトの『狂気の山脈にて』やスタージョン『人間以上』と間接的で共鳴させて文学の論文執筆に活かしている話や、文芸翻訳作業で精神の平安を保つ話も印象深かったです。

追記:発達特性(ニューロダイバーシティ)とジェンダー/セクシュアリティの交差の話題で、本のオススメです。 横道誠『みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院, 2021) 

横道誠さんやサラ・ヘンドリックスさんのまとめと分析、当事者の語りは貴重です。とはいえ、あくまで一例です。まだまだ当事者の語りは足りていないでしょう。一例だけで理解したつもりになるのは危ないです。これは自戒をこめて。
自分や周りを見ても、ニューロダイバーシティとジェンダークィアネスは関連性がありそうな気がするのですが、そしてそうした研究も進みつつありますが、気を付けないと病理と見なされて否定的・不当な扱いを受けかねないので、記事や書籍の紹介にも迷いますね。

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ラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書 自閉症者と小説を読む』(岩坂彰訳、みすず書房)を読みました。もっと早く読めば良かった。
英文学者、エッセイスト、詩人である語り手が、6人の自閉スペクトラム症者ひとりずつと6冊の有名小説を読み、偏見や古い研究を訂正しつつ、多様な読みをまとめた本です。
やや気になったのは邦題がやけに共感覚を押し出している点です。原題はSee It Feelingly: Classic Novels, Autistic Readers, and the Schooling of a No-Good English Professorで、私もセンスに自信ないですが『感じるままの理解:古典名作とAutisticな読者たちとへっぽこ英文学教授』みたいな感じではないですか。(続きます)

『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書 自閉症者と小説を読む』なにが良かったかというと、ひとつは人によって小説の共感や解釈は全然ちがうし、ASD者といっても抱える困難や特性は全然ちがうということですね。文学評論が拡張されている。
>「こんな本で何が証明できるんだい?」と、最近ある友人に問いかけられた。答えるなら、本書は何も証明はしない。私のデータセット ――そう呼んでよければ ――は極端に小さいし、テキストや協力者も戦略的に選んだ。
(「はじめに」より)

「はじめに」はKindleのサンプルで読めるので、気になる人はぜひ試しに読んでみてください。(続く)

『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』が良かった一番の理由は単純で、自分に似ていて共感できる人が登場したからです。 

ドーラ・レイメイカーというシステム科学の博士(本書の取材時はまだ博士過程)と共に、著者がP・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読む章は、マーキングしたい文章だらけでした。
レイメイカーはプログラマを経験していたこともある科学者で、SF小説家でもあるそう(寡聞にして知りませんでした)で、好きな作家はジェフ・ヌーンとハーラン・エリスン。この章で著者はSF小説の特性と効能を解説していきます。

レイメイカーには発話障害があり、調子のいいときは口でも明晰に話せますが、調子によってはキーボードのタイプ入力でしかコミュニケーションできません。計算力障害もある。セクシュアリティもジェンダーもクィアで、パートナーが女性だったことも男性だったこともある。性別の概念がないため、三人称代名詞が頭をすりぬけていってしまうそうです。
私とは多々と似たところがある一方、この人は共感覚者なんですよね。ソースコードに対する感覚が聞きとられ、言語化された部分を読むのは、まさに知らない体験への理解を広げる感覚がありました。
ちなみにピンとこない章もあります。

『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』、序文がもう好き。毛むくじゃらの怪物が好きなので。 

以下引用。

 ドナルド・バーセルミはかつて「文学の目的は、毛皮でおおわれた、ふしぎな物体を創造して、あなたの心を痛ましめることである」と書いた。地下の実験室で生み出される異様で恐ろしげな怪物のように、文学も完璧に飼い慣らすことはできない。その怪物は「おすわり」もしないし、「ごろん」もしない。玄関でお迎えもしない。きちんとした引き綱 あるいは拘束具 をどれほど固く結ぼうとも、作家が苦心の末に創り上げたこの被造物のほうが主人となって読者を引き回すのである。
 バーセルミが、この毛むくじゃらの怪物が読者の心を痛ましめると語るときにほのめかしているものこそが、物語の力である。「すべての物語は、オオカミについての物語だ」とマーガレット・アトウッドは書いている。オオカミは闘争と損害をもたらす。だが同時に、物語の作家はそこで共感的な癒しももたらそうとしているのである。

ひとつ追記。原題See It Feelinglyのseeは見る・ビジュアライズするという意味で、共感覚を表してもいるでしょう。しかしseeには認識する、わかるという意味もあって、そこを踏まえた題名だと思います。感じるがままの理解は、感じかたが多様なので人によって全然異なるわけです。
邦題はわかりやすくキャッチーになるよう努力されたのだと思いますが、感じかたの“特異さ”に焦点が当たって、さりげなさが薄れてしまった気がします。

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