(続き)
江戸の国学者達はこれを批判したが、明治維新の指導者達のイデオロギーは基本儒教的でそれが「忠孝」を中心とする教育勅語に結晶した。統一教会も同じだと云ふ。
田中さんは最後に「中国回帰した」日本と中国相互の自慢と攻撃の応酬を心配して文章を終わるのだが、こんなデタラメな話はない。
田中さんは江戸時代には庶民にまで漢詩文が浸透したことを批判的に叙述するが、狂歌、俳句、歌舞伎などは江戸時代に勃興し、明治以降にまで続いたが、日本の植民地侵略とファシズムを止めることはできなかった。また和歌会に見られるように天皇制と密接に結びついたジャンルもある。
いわゆる「日本語」から漢語の影響を排除していく言語学・文献学は本居宣長が江戸期に完成したが、その結果漢語由来の言葉を使わなければ、日本語で概念を含んだ論文は書けないことが分かった。こうした言語の「クレオール」(雑種)は別に日本語に限ったことではない。
ついでに言うと田中さんは「忠孝」イデオロギーと言うが、中国では「考」が上で君主への「忠」はそれより「下」。「忠孝」は明治国家の発明。「臣民」も同じである。
少し前「中国化する日本」という本を書いた与那覇潤という詐欺師がいたが、田中さんもこれでは与那覇と変わらないのでは?
今日の東京新聞に「愛国教育」という田中優子さんのコラム。
前半は、第一次安倍内閣の際(2006)の教育基本法改正に対する批判でこれはもっともなご意見。私も、この時は、デモや集会、国会前行動などにお付き合いした。
安倍はさらに2015年に学校教育法を改正、「大学の自治」をほぼ解体した。これは元来憲法23条「学問の自由はこれを保障する」違反である。
憲法23条は、戦前のファシズムが滝川事件・天皇機関説事件・人民戦線事件などによって「ファシズム」に批判的な大学を弾圧することで最終的に完成したことを踏まえ、新憲法で「言論・表現の自由」から敢て独立して規定された。この教育基本法改正、学校教育法改正は安倍にとってはまさに憲法改正のリハーサルであった。
この2006年の教育基本法改正反対の折、私たちは「新自由主義と国家主義」の結合を強調したが、この頃はまだ新自由主義という概念は一般には理解されなかった。
ところで、田中さんに戻ると、「愛国」の起源を中国に遡る本居宣長振りの「反中」はいただけない。
田中さんによれば、「権威、礼、徳、忠、考、家族、祖先」な価値観は中国から輸入されたもの。
現代の「愛国者」達は実は中国の儒教倫理に基づいており、実は「中国回帰」なのだ、と田中さんは主張する。
日本共産党のそしきろんが非熟練ろどしゃの単純ろどかんきょを忠実になぞっている。
低ちん金ではたらく非じゅくれん労どしゃはそゆ職場でしかはたらけないわたしを自己嫌悪している。
そこで共産とをみると自動てきにいやな気分になる。
きのこ。しろい。くろい切株が好物