生理と仕事の企画書と諸々の報告書とキャリアアンケートと他拠点へのヘルプとドデカ試験の案内と雑務と👦🏻との関係と周りの結婚報告と重なってほんまに無理助けてヘルプ
親戚を失った話
被災地の真っ只中に暮らしていたけど自分には今まで住んでた家が壊れず残ったし、同居の家族や友人はみんな無事だった
でも毎年盆正月に会っていた近しい仲が良かった親戚が亡くなった
1人は翌月から小学生だった
その子のお兄ちゃんは小学3年生で、いまだに見つかっていない
2人のお祖父さんは、親戚も友人も迷子のペットもその辺の酔っ払いのおじさんも家に招き入れてみんなの輪を作ってくれる人だった
みんなで集まれる場所がなくなって、家族がバラバラになっていくのが辛かった
でも、実感がなくて半年間涙も出なかった
今はたまに泣けるけど、津波で全てをなくした親戚たちに比べて被害が少なかった私は、抱く必要がないはずの罪悪感をずっと抱えてる
私はそんなに苦労してない。ただ水と電気が止まって、卒業式がなくなって、入学が少し遅れただけ、目の前にテレビが落ちてきて怖かったとか、それくらいだけ。
こういう震災が来たり、復興しつつある沿岸部を見たり、毎年3月になると襲ってくる中途半端な苦しみが、結構しんどい
被災した話
私小6の時に被災して、家無事だったから家にいたけど水も電気も1週間以上来なくて、頼りの父親もライフラインの仕事だったから3週間くらい帰ってこなくて、母と弟と祖母と毎日ラジオと有線から流れる緊急地震速報と地鳴りと揺れとに怯えながら真っ暗な中過ごしたビジョンって本当に10年経っても消えないんだよね。
高台で実家には津波は来なかったけど、おばあちゃんの家とか子供の頃の思い出の場所、みんな無くなっちゃった。
本当に何も無くなったから、まだ車走らせればあの場所がどこかにあるんじゃないかって思ってる。
家が流されちゃって預かることになった従姉妹を迎えに沿岸部に行った震災から1週間後のあの光景、田んぼに突き刺さったトラックとか、何年も無くならなかった家より大きい瓦礫の山とか、一生忘れないんだろうな。
りゅうくんがすきです