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『一度きりの大泉の話』、序文を読んだらあんまりにもつらくて、これって「外野が書かせた(語らされた)話だ」と思って、ずっと読めなくて…でも、『少年の名はジルベール』とセットで読んだほうがいい、ということを話してもらって、ようやく読み始めた。
竹宮惠子が書いた回想録に、萩尾望都は「語りを返せる」立場にあった、ということとか考えてる。作家同士だから苦しみながらでも、自分の立場、視点からの「出来事」を語り、「出来事」や「事実」を「ひとつ」にしてしまうことを回避できたのだ、ということとか。
実際はそれができずに、大きな立場からの語りに飲み込まれて、応答も否定も「説明」もさせてもらえないことが多い。

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