ドラゴンカーセックスその後産卵話
番うってどう言うことなの、と言う問いにふわふわした返事しかできなかった則宗を、清光はとりあえず車に乗せて家に連れ帰った。さほど大きくもない賃貸アパートだし、何より一人で暮らすと言う約束で借りていた部屋だったから堂々と一緒に暮らすと言うわけにはいかない。数日ならば「一緒に暮らすわけじゃないけど少しの間泊めている」で通るが、則宗も清光も末長く共に過ごすつもりでいるのである。
さりとて引っ越すために先立つものが清光にはない。まさか龍を働きに出すわけにもいかないしと思っていると則宗が清光に言った。
「富籤を買うといい」
宝くじを買えと言われて清光は渋った。そんなものに金をかける趣味はない。こう見えて堅実なのだ。
「いいから」
強いられて清光は渋々、一枚だけ宝くじを買った。それが見事大当たりだったのである。狐につままれたような気分の清光に、則宗は澄ました顔で「龍はそう言うものだ」と言った。何がどうなのかはさっぱりわからないが、あれこれ聞き出したことから推測するに、「そこにいるだけでふさわしい環境が整っていく」と言うことらしい。
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こうして清光たちは広い家に越すことになった、わけではなかった。
同時期に清光は、今まで聞いたこともなかった親戚から、山陽にある巨大な屋敷を相続することになったのだ。
「なんで!?」
驚愕する清光に、則宗はむしろ不思議そうに首を傾げた。
「龍はそう言うものだと言ったろう」
「それはそうだけど……でもあんな縁もゆかりもないところがあんたにふさわしい場所なの?」
ふむ、と則宗は逆側に首を傾けた。
「僕の生まれ故郷がそこだからだろう」
「え? でもあの山のあたりの守り神なんじゃないの」
「独り立ちしてここへ来て、前の守り神を追い落としたのさ」
思ったよりバイオレンスな展開に清光がごくりと唾を飲んだ。龍ってそうなんだ。
いや、よく考えるまでもなく清光の乗っていた車を片手で軽々と持ち上げるような存在なのだ、別に供述に矛盾はない。
が、別の疑問が湧いた。
「守り神なのに守ってるところを離れちゃうことになるのはいいわけ?」
則宗は考えるように頬に手をあてた。
「別に上がりがあるわけでなし、誰かしらに譲るかね」
「軽くない!?」
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押し問答は長くは続かなかった。
「うんうん、そうかい。じゃ、また後でな」
という晴れやかな則宗の言葉を聞くに、電話の向こうの誰かさんは申し出を受け入れたらしい。
清光はと言えば気になるのはそんなことよりスマホだった。
「いつのまにそんなの買ったの」
確かに宝くじは当たったし、仕事をしている清光が家をあけている時間も長かった。だが、まさかちょっと前まで山で百年以上も眠っていた龍がキャリアショップに出かけて端末を買って契約をしてこようとは。
「って言うか銀行口座とかどうしたの?」
質問を浴びせる清光に、則宗はいたずらっぽく笑ってスマホを差し出した。思わず受け取り、そして首をひねる。
「……何これ。板?」
見た目はちゃんとしっかりスマホなのに、やたらと軽い。まるでモックだ。
「ご名答。この前かまぼこを食べたろう。あの板さ」
「はぁ!?」
そう言われるとかまぼこ板くらい軽い、気がする。
「なんでかまぼこ板? て言うか、なんでかまぼこ板で通話できるわけ?」
「それはだな」
と則宗は重々しく告げる。
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「何、簡単な話さ。僕が離れた場所にいる坊主と話したいと思ったとする。僕は道具なんぞ使わなくたって離れた場所にいるお前さんと話ができるが、お前さんはそうは思っちゃいない。だが」
と則宗はかまぼこ板を振った。質感も画面も、本物のスマホにしか見えない。
「これさえあれば離れていても僕と話せる、とお前さんは思ってる。まじないみたいなものさ」
「思い込みだけで回線が繋がってるってこと……?」
「さぁて」
則宗は楽しそうに肩を揺らした。
清光は頭を抱えた。
「そういうものだと思ってるからそうなるだけ」としか思えない則宗の説明をこれ以上掘り下げると、このスマホはもう二度と繋がらなくなってしまいそうだ。
清光は則宗を見た。
今の今まで、清光は則宗がたまたま自分好みの姿をしていたのだと思っていた。
だがもしかするとこの見目だって清光が勝手に作り上げたものでしかなく、傍目には清光がトカゲ人間と睦まじげにしていたり、あるいは何もないところに向かって話しかけているように見えたりするのかもしれない。
ぶるりと身震いをして清光はかぶりを振り、恐ろしい想像を追い払った。
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そんな話をしたのが、ほんの数日前だ。
山陽に引っ越すと決めた途端、恐ろしいことに清光にはリモートワークで今よりはるかに好条件の会社から引き抜きがかかった。則宗の縄張りは後継の龍が見つかり、春だと言うのに繁忙期のはずの引越し会社まであっさりと見つかった。
引っ越しの準備をしなきゃね、と考えていた矢先の、
「できたぞ」
である。
やることの多い中、そしてツッコミどころの多い日々の出来事の中、清光のスルー力は確実にアップしていた。
「よかったじゃん」
と頷くと則宗は頬を染めた。
「喜んでくれるかい」
「いいことなんだろ」
「もちろんだ」
「だったら俺も嬉しいよ」
何しろ超絶好みの相手なのだ、これくらいの台詞は放っておいても勝手に口から出てくる。内実はどうかわからない、という恐ろしい想像はとりあえず忘れておくことにする。
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「お前さんが喜んでくれてよかった。多分生まれるのはあっちへ越してからになるから、今から支度をせんとなあ」
「そーね、いろいろ支度しなきゃね」
うんうん、と頷いたところで清光は引っ越しのために必要な手続きのリスト作成の手を止めた。
「……何が生まれるって?」
「おや坊主、冷蔵庫の引き取り手も決まったのかい」
リストを覗き込んだ則宗が、ここ数日頭を悩ませていたシングルサイズ冷蔵庫の処分先に名前が入っているのを見つけてそんなコメントをする。
「ああうん、上司の弟さんが春から一人暮らしするらしくてさ、車で取りに来てくれるって……いやそうじゃなくて、生まれる? 何が? なんで?」
タブレット端末をずいと向こうへ押しやる。
夕食後の片付けも終わった小さなテーブルの上を、端末がつるりと滑って端で止まる。「おっと」とそれを支えようとした手を引っ込め、則宗は小首を傾げた。
「何って、決まっとるじゃないか。卵だよ」
「な、なんの……?」
則宗はとびっきりの笑顔を浮かべた。
「僕とお前さんのさ」
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思い当たる節は実は山ほどあった。
初回こそあのすごいやつですごいことをされた清光だったが、家でゆっくりできる環境になると好奇心がむくむくと頭をもたげてきた。
「あんたの体って何がどーなってんの?」
と興味津々で則宗の体をあちこち探り倒したのだ。初めこそ、
「そ、そんなところはばっちいからやめなさい」
と焦っていた則宗だったが、ひっくり返したり裏返したりあれこれされるうちに目を回したのかどうでも良くなったのか、
「やめ……なくていい……っ」
と白旗をあげた。
詳細は省くが、清光は則宗から「お前さんと僕の卵が僕の胎に宿ったぞ」と言われても「そんなことあるわけないだろ」という反論ができないようなことをしたのである。しかも何度も。
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清光の脳裏を、ベッドや風呂やそれ以外の場所でのあれやこれやが走馬灯のように駆け巡る。清光は覚悟を決めた。
何がどうなったのかはさっぱりわからないが、自分が関与した卵が生まれる。則宗はそれを喜んでいる。ならばそれは自分にとっても喜ばしいものであるに違いない。戸惑いがないとは言わない。むしろ戸惑いしかないが、腹を括るしかない。
「準備って例えばどんなこと?ベビー服とか?」
尋ねると則宗はきょとんと目を丸くした。
「……人間てのは僕が眠ってる間に、卵に服を着せるようになったのかい」
違うらしい。
「いや、卵って俺はじめてだから何すればいいのかなって……」
卵ってはじめて。
一生口にすることなどないと、思うことすらなかったフレーズである。
則宗はそれを聞くと照れたように頭をかいた。
「いやぁ、実は僕もはじめてでな。ちとツテがあるから、そのあたりに聞いてみることにするよ」
もしやまたスマホで龍と通話するんだろうか。て言うか龍ってそんないっぱいいるものなんだろうか。
戸惑う清光をよそに、則宗はなんだか楽しそうだ。
だったらまあいいかと清光も肩の力を抜いた。
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転居の準備は大変だったが、新居での荷解きと新生活のスタートは怖いくらいに順調だった。
なぜなら、亡くなった親戚が驚くほど善良で気前のいい人間だったからだ。
そもそも顔も知らない親戚だったのだが、故人は清光のことをよく知っていたらしい。家を一軒遺すくらいだから当然だと言うむきもあるかも知れないが、清光は弁護士から電話がかかってきたとき「どうせ誰も引き取り手がないから繰り上げ当選しただけだろ」くらいに思っていた。何しろ山陽の家である。清光の実家は北陸にあるし、顔を知っている親戚連中はだいたいその辺りに住んでいる。わざわざ見知らぬ土地へ移り住んでまで家をもらい受けたがる人間が出てくるとも思えない。
だが、清光と則宗の住む狭い1Kの部屋を訪ねてきた弁護士は、故人が遺言状で清光を指名して家を遺したのだと明かした。
「なんで?」
と首を捻る清光に、やたらと眼光の鋭い黒髪の弁護士は鬱陶しい前髪の向こうで目元の皺を深くして笑った。
「来ればわかる、とそれ以上のことは言うなと言われていてね」
「ふうん……」
もう少し聞きたかった。しかし、なんだか堅気でなさそうな空気を纏った男がそれ以上聞かせてくれるとは思えなかった。
「相続税で首が回らないなんてはめにはならないんだよね?」
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清光のその言葉に男は笑い、そんなことにはならないと請け合ってくれた。そして実際、その通りになった。なお、固定資産税に清光が目を剥くことになるのはその少し後の話になる。
転居の日、清光は則宗と揃って近隣を回り引越しの挨拶をした。どの家も、「ああ、沖田先生のところの」と明るく歓迎し、「先生のことは残念でしたねえ」としみじみ故人を偲ぶ言葉をくれた。残念と言われても、実は顔も知らない遠縁である。だが馬鹿正直にそんなことを言うほど清光は不器用ではなかった。
「ありがとうございます。ここに慣れるまでご迷惑をおかけすると思いますけど、よろしくお願いします」
殊勝に頭を下げる清光と、その隣でにこにこ笑う則宗のふたりを、皆が歓迎してくれた。
若い清光はともかく年齢不詳の則宗は怪しまれるかと思ったのに、そんなことはまったくなかった。
役所の手続き、日用品や食料の買い物、町内会の付き合い、家の手入れと、最初の一週間は飛ぶように過ぎた。
「一文字則宗はここかな」
そう言って若い男が訪ねてきたのは、ここらには珍しく冷たい雨の降る日だった。
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「どちらさま?」
やや警戒気味の対応になったのは、その男の顔に見覚えがなかったからだ。越してきてからと言うものずいぶん大勢から歓迎の挨拶を受けたが、こんなに印象的な人間を見忘れるはずがないと自信を持って言い切れる。
並外れた美貌、と言ってよかった。
則宗のことも、清光は到底人間とは思えないくらいに美しいと思っている。しかしそこには多分に清光の好みにばっちりぴったりという加算がある。今目の前にいるのは、全然好みじゃないけどものすごく麗しい男なのだった。
「ああ」
とかれは言った。口許に微かな笑みが浮かび、そうすると尖った雰囲気が一気にやわらぐ。
「山姥切と言ってもらえればわかるはずだ」
「やまんば?」
「ぎり、だ」
「やまんば……」
白い眉間に皺が生まれる。やべ、と清光は内心焦りつつ笑顔を取り繕った。
「やまんばぎり、さん」
「そうだよ」
聞き分けのない子供に噛んで含めるような、辛抱強い口調で山姥切は頷く。
「一文字のご隠居とはちょっとした縁があってね。話を聞きたいと言うからこうして訪ねてきたんだけど」
さっきから出てくる「一文字」というのは何なんだろう。龍って名字があるんだろうか、と清光は首を捻った。
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「ちょっと待ってて、今呼んでくるから」
玄関先で待たせるのもどうかと思いはしたものの、清光は引き戸の外に立つ青年をそのままにして則宗を呼びに引っ込んだ。
越してくる前の清光ならば、「入って」と声をかけせめて上がりがまちにでも腰かけてもらっていたところだ。それをしなかったのは、ここへ来てからそれをして何度か痛い目を見たからだった。
何かよくわからないものの侵入を許してしまったのが二回。明らかにまずそうな何かを入れてしまったのが一回。何かに吸い寄せられたような、半分眠ったような人間を招き入れてしまったのが三回。
毎回則宗が気づいて追い払ってくれるのだが、さすがに清光も学習した。かれらは皆、清光が「どうぞ、入って」と言わない限り中へは入り込めないということは、則宗から教えてもらった。
「則宗、お客さんだよ。やまんばさんだって」
名を呼びながら廊下を歩く。清光が生まれるよりかなり前に建てられた家は、古くてとても広い。
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ほどなく、「ここだ」という声が奥の茶室から聞こえてきた。
茶室と言ってもむろん独立した建屋などではない。南側を向いた小さな書院ふうの部屋に炉が切ってあるのだ。
ほどよい狭さと日当たりのよさが気に入ったらしく、則宗はこの家に入った途端「ここを産屋にする」と宣言し、以降清光には意味がよくわからないものをせっせとその部屋に運び込んでいる。
濡れ縁の向こうに、障子戸から顔をのぞかせた則宗の頭が見えた。今日はよほどリラックスしているのか、頭には金の枝角が輝いている。
「巣作り?精が出るね」
「いよいよ日が近いからな、追い込みってやつさ」
日が近いと言われ、清光は「楽しみだね」と頷いた。則宗の「近いうち」が全然近くないことはもうわかっている。龍の時間感覚は人間とはまるでスケールが違うのだ。
「忙しいところ悪いんだけどあんたにお客さんが来てるよ。やまんば……ぎり、さんだって。玄関の前で待ってもらってるんだけど、通していい?」
「山姥切?おお、もう来たのか、早いな。いや、僕が出るから水を頼めるかい」
「あんたのと同じでいいの?」
「ああ」
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返事を置いて則宗は濡れ縁をずるペたと歩いていく。枝角も、尻から伸びた立派な尾もそのままだ。角を折れるのを見送ってから、清光は則宗いわくの産屋を覗き込んだ。
部屋の広さは四畳半だ。ここいらの畳は清光が住んでいた関東のそれよりも大きいし、濡れ縁と繋がっていることもあって広々として見える。ただし、今その畳の上には所狭しと古着やタオルが敷きのべられている。巣材にされているのは清光が着なくなった服や使わなくなった布類がメインで、いらなくなった雑誌や本、使い終えたメイク用品の空き容器まである。
まさかここに客は入れまいと思いながら清光は引き返して台所へ向かい、来客用のグラスふたつに水道水を注いでコースターと一緒に盆にのせた。
茶請けを出すべきか迷ってから、昨日おすそ分けでもらったどら焼きをふたつ水屋から取り出す。則宗以外の龍がどら焼きを食べるのかはわからないが、嫌いなら手をつけないだろう。龍の礼儀作法は知らないが、客に菓子も出さないのかと言われるよりはましなはずだ。
「おおい坊主、こっちへ来ておくれ」
タイミングよく呼ばう声があがった。
「今いくー」
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美しい客はなんと則宗とふたり産屋にいた。
なんでよりによってここなのと思いながら水とどら焼きを出すと、意外なことに男はわずかに頬を緩めた。冷ややかにすら映る美貌が、そうすると一気に優しげに和らぐ。
「ありがとう、いただくよ」
則宗が春の暁なら、この客は冬の早朝だ。清々しくなんの濁りもない水のようでもある。
「こちらが、あなたの?」
山姥切と名乗った男は清光から視線を移して則宗に問うた。
「ああ、そうだ。愛らしいだろう? 僕の坊主は。可愛いだけじゃないぞ、賢くて優しくてかっこよく」
「俺は山姥切長義。長義と呼んでいい」
まだまだ続きそうな則宗の言葉を容赦なく遮り、長義は清光に水を向ける。あわてて膝をそろえ、清光は頭を下げた。
「か、加州清光、……です」
自分とさほど年齢の変わらないように見える相手に敬語になったのは、長義が人間よりはるかに長寿の龍らしいから、というだけではない。
何となく、学校の先生を思い出させる謹厳さがかれにはあった。背筋を伸ばしていなければぴしゃりとそれを指摘されそうな、そんな気がしたのである。
ちぢこまる清光に則宗はのんびりと胡座で笑う。
「そんな畏まらなくたっていいぞ清光。号は山姥切だが別に取って食おうってわけじゃないからな」
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「あなたはいつも一言多い」
「えーと、じゃあごゆっくり。水のおかわりは声かけて」
清光は曖昧に頷き、旧交をあたためるならば部外者である自分は席を外した方がよかろうと腰を浮かせた。意外なことにそれを引きとめたのは長義だった。
「ここにいて一緒に話を聞いてもらえるかな。俺は同じことを二度説明するのは好きじゃないし、かれは説明が得意とは言えないからね」
「こんなことを言っちゃいるが、聞けば何度だって教えてくれるぞ長義は」
横から茶々を入れる則宗の笑い声が響く。
「説明って産卵のこと?」
清光が口を挟むと一瞬長義が鼻白んだように息を詰めた。
「まあ、そういう言い方もできるかな。俺は霊分けって呼んでるけど」
「タマ?」
「……そう」
引っかかりを覚えたような間の後、長義は頷いた。突っ込んでいたらきりがないと思われたのかもしれない。頭を切り替えるためだろうか、長義は目の前に置かれたグラスを手に取り一口水を飲んだ。目を瞠り、驚いたようにグラスの水を見つめてからもう一度口へと運ぶ。
「いい水だね」
「だろう?」
則宗は得意げだ。
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ここへ来て則宗が一番喜んだのが、水だった。
古いとは言え上下水道を完備したこの家は、一か所だけ井戸から引いた水の出る蛇口がある。
則宗はその水が大のお気に入りで、四六時中そればかり飲んでいる。越してきてからなんだか肌艶がよくなったように思っていたのだが、この長義の反応を見るに気のせいではなかったのかもしれない。
「こんな水が引けるなら確かに産屋はここでいいかな。下手に山へ行くより安全だ」
「だろう? それに山だと坊主に手を握ってもらえんからな」
「手なんか握ってもらわなくても魂わけはできるだろう」
「そんなことはない!」
あきれたような長義に則宗は憤然と抗議する。
「そんなことは断じてないぞ。お前さんだってあの坊主に手を握ってもらってるだろうに」
長義の白い頬がぱっと染まった。
「お、お、俺のことは放っておいてもらえるかな。今日はあなたの話をしに来たんだから」
赤い顔の長義になおもにまにまと追い打ちをかけようとした則宗を、清光はたしなめた。
「やめなよ、いろいろ教えてもらうためにわざわざ来てもらったんでしょ」
「坊主」
「あなたの番のほうがよほど道理をわきまえているようだね」
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ため息をついた長義は清光に向き直りついでに皿に置いてあったどら焼きを取り、予想外に大きな口を開けてかぶりついた。
清光はちょっとびっくりした。どら焼きですらフォークとナイフを使って食べそうだと思っていたのに、なんなら清光より一口がかなり大きかった。
「うん、いい味だね。餡の炊き加減がいい」
なんて言いながらもしゃもしゃと実に美味しそうに平らげると、則宗の皿に手を伸ばして手付かずだったどら焼きを奪い取った。
「僕のだぞ」
と口を尖らせる則宗に、
「授業料だよ」
と返し、懐から取り出した紙に包む。
「お土産としていただいていくけど、かまわないかな」
問われて清光は面くらい、なんとなくどぎまぎして何度も頷いた。
「もしよかったらまだいくつかあるけど」
「遠慮なくいただいていこうかな」
ふと疑問が湧いたのはその時だった。
「やま……長義さんの番って、龍なの? それとも人間?」
「長義でかまわない」
まずそこを訂正してから、長義は水を一口飲んだ。
「人間、かな」
答えるまでに一拍の間があった。
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それ以上踏み込んだ質問をためらわせる空気に、清光は「そっか」とだけ返した。
短い時間話しただけでも、長義が理不尽を好まないだろうことはわかる。立ち入ったことを聞いたというだけで機嫌を損ねて帰ってしまうということはなさそうだが、そんな彼だからこそ礼を失した態度は控えたかった。
「それで──たまわけ? だけど、俺がしなきゃいけないことってそんなにたくさんあるの?」
同席させるからには役割があるのだろうと水を向けると、長義はわずかに目を瞠ってから穏やかに笑んだ。
「いいや。本来龍はひとりでたまわけをするものだよ。ただ、かれは今回この家でたまわけをするだろう? どんなことが起こるのかを知っておくのは、君にとっても悪いことじゃないと思うよ」
なるほど、確かにそうだ。
卵を産むというのはたぶん大ごとなのだろうし、清光は龍の体調の図り方など皆目見当もつかない。則宗が弱っているように見えたとして、それが異常事態なのか普通のことなのかを知っておけば、うろたえて気を揉むこともなさそうだ。
清光は姿勢を正し、長義にあらためて頭を下げた。
「よろしく、お願いします」
長義は微笑み、
「ああ」
と深く頷いてくれた。
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則宗が元気な卵を産んだのは、それから七日後のことだった。
予兆らしい予兆はなかった。朝食の後かたづけをしていた清光は、縁側で寝転がって食休みをしていた則宗が突然弾かれたように起き上がるとどたばたと産屋に走って行く物音だけを聞いた。何か産屋に足りないものでも思い出したのかな、と思っているとせっぱつまった声が飛んできた。
「坊主! 今すぐきてくれ!」
ただならぬ様子にフライパンを洗う手を止める。
「うまれる!」
「今行く!」
清光は返事と同時にやかんを引っ掴み、例の井戸から水を引いている蛇口を思い切りひねった。鈍い金色のやかんに水が溜まるのを足踏みしながら待ち、コップか何かを持ってくればよかったと後悔しつつ廊下を駆けた。
襖を開け放つとそこには半分くらい龍に戻った則宗がいた。出会ったあの日に車に乗り込もうとしたときの、角も尾もあるあの姿だ。清光が今朝脱いだばかりのふわふわのジェラピケを握りしめている。
「坊主、手を握っていておくれ」
「わかった」
ジェラピケを握っていない方の手を取る。手のひらはじっとりと湿っていた。
「苦しい? 背中さすろうか」
「苦しいわけじゃないが頼む」
「違うのかよ」
思わずつっこむ。とは言え、則宗の様子がいつもとは違うことは明らかだ。
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頬が紅潮し額に汗がにじんでいる。呼吸も少し速い。
「他にしてほしいことある?」
顔を覗き込むと、則宗は小さく首を傾げた。
「わからん。いろんなことをしてほしい気もするし、このままここで元の姿に戻って大暴れしたい気分でもある」
「暴れる⁉︎」
それは困る。あの龍の姿になられたらその時点でこの家が全壊する。いくら龍が「ふさわしい環境が勝手に整っていく」という存在だとしても、次の住処がすぐに見つかるほどの幸運に恵まれるはず、と信じ込めるほど楽天的になれない。
「なんとか暴れるのは我慢できない?」
「腹の奥がむずむずするんだ」
むずがるように則宗が身をよじる。とっさに手を伸ばし、清光は腹筋が波打っているように見える下腹部を撫でた。
とたん、則宗の腹がほのかに発光した。驚いて手を引こうとすると則宗が清光の手首を掴んだ。
「だめだ」
「さ、触ってていいの? なんか光ってるけど⁉︎」
「触っててもらう方がいい」
そんな言葉を交わす間も則宗は額に汗を浮かべ、美しい鱗に覆われた長いく太い尾でざりざりと畳を掻いている。苦悶するようにも恍惚としているようにも見える顔に清光は抱き合っているときのかれを思い出してしまい、ひとり顔を赤らめた。神聖なときに不埒なことを考えるなんて、とかぶりを振る。
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「百聞は一見にしかずだ。よし坊主、僕がお前さんに電話をかけよう」
「へ? 番号わかんの?」
「わかるとも」
言うと則宗は何食わぬ顔でスマホにしか見えないかまぼこ板の表面を撫でた。とたん、清光のポケットの中で端末が震える。まさかと思いながら取り出すと、画面には電話帳に登録されていることを示すアイコンと則宗という名前が表示されていた。
恐る恐る通話ボタンをタップし、端末を耳に当てる。
「……もしもし」
「おお坊主、僕だ」
距離が近過ぎるが、それでも肉声とは違うデジタル処理された音声が耳にあてがった端末のスピーカーから発せられているのはわかった。
一体どういうからくりなんだ、いつの間に俺のスマホに番号登録したんだよ、なんでそんなことできるんだよ、もしかして龍ってのは嘘で実は凄腕のハッカーだったりするわけ?
混乱する清光に、則宗はさらに言う。
「今度は坊主からかけてみてくれ」
「う、うん……」
半信半疑で着信履歴を見る。やっぱりそこにも「則宗」という名前がある。えいやとタップすると、ほとんど間をおかず則宗のかまぼこ板が震えた。
「ああ、僕だ」
「何がどーなってんの……」