というのは
「記号としての読み方しか」「しない現在」
のことを言っていて
ついでながら、その人たちは「自分の主張にも、記号を使う」
「そしてそれは、右左・差別差別反対のどちらでも」
だと思うんですよ。
まあ、猫は全文を読んでいないし、問題の点は、全然知らないから、危ないとは思うんですが。
少なくとも、その主張は正しいと思う。
例えば
「複雑でなければ」という主張をしている書き手が「そのまま、だからxx」...。
おーい...(^^;
多分「複雑でなければ」云々は、その人の気に入ったロジックや世界観で。それを「記号」として。己に取り込んだ。
うぬ。
それって、どちら側ってことはなく。左・反差別にも頻繁に見かける。
人は「記号」ぢゃないです。そんなに単純なものではない。
信じるものの裏には、傷があり。傷からは、痛みと血が流れている。
それを込みで話すのと、無視するのは、違うと思うのですよ。
本人だって、痛いから、傷に無遠慮に触れられるのは、腹たつし、失礼だけれど。
それを「無視」して「記号」として読まれるのは、また違うと思う。
...うん。
ちょっと、大きすぎるのかな。上手く言えないのですが。
ちょっと、レスポンスが早すぎる
おお。
猫より、よほど良いこと言われていました(^^
レビューぢゃなくても ですね。
>短絡的批判には自分が前提とする枠組みの妥当性に関する省察が伴っていない
かっこよい(^^ (おい
>長谷川諒|音楽教育学
>何かをレビューする時には「肯定的に評価するポイントを探そうと批判的に見る」ような態度が前提にないとだめだよね、短絡的批判には自分が前提とする枠組みの妥当性に関する省察が伴っていない
...というか
待てない。己も周りも「待つ体力がない」
のだろうなと思います。
これには色々あるだろうし、またここから色々起こるんだろうけれど。
勿論、なんというのかな。
「より正しい方を目指す」ことは、とても重要だと思うのですが。
それには「物語」はとても分かりやすいと思うのですが。
うん。
多分、分断って、「記号」の争いなんだろうな。
「記号」は「記号」だからね。相手、血が流れているのを、忘れられるのだろうね。
生きてるよー。
おーい(^^;
あまり強い・攻撃的な言葉は、ねー。
相手、なんと、生き物なんです(^^;
「エモ」の切られた部分って、そこではないのかな。
多分「己の限界・不甲斐なさ」の「不可視化」が、エモの取り柄なんでしょう。
(注:物語とエモはイコールではないとも思います。
まあ!
そんなものばかりだと、めげるしね!!
うん!!!
でも、全くなしだとね(^^;
うん...
(あの対談も「分量のバランス」を言っているわけで。
#fedibird