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より有害さを強調するにはTwitterよりもXと表記する方がイメージしやすいね。

何を言ってるんだってことも実は多々あるんだけどそれでも惹かれるのは、自伝に出てくる知り合いのおばさんに“あんたは良い子じゃないけど自分を取り繕ったりしないとこは良い”って言われたというエピソードでも思うことで、“良い”ところも“悪い”ところも含む人間であるって全然隠そうとしないのよね自分のことを。悪かったと気付いた点は認めて謝罪しているものもあるし。そこに一番魅力を感じている気がする。

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マルコムXの発言は表現豊かで明快なんだけど激しさゆえに誤読される可能性を持つものだから、自伝もそうだしいろんな場所での発言や研究者の成果なども参照しないとなかなか真意が読めないという深淵さがある。

象🐘は焼き付けられてないわね。
それで思い出したけど、昔のナイトレートフィルムのことだったか牛の膠で作られていたから、映画を観るということは牛を観ているということと同義であるみたいな言葉がある。誰の言葉かは忘れた。

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撮影で使ったフィルムは特殊でとか、感度がねとか、サイズがとか、そんな情報を得ても観るときにはデジタルで観るわけだからなんかこうね。いや本当はそれで十分なことなんだけど、やっぱり上映用フィルムに焼き付けられた象を観ているのだという気分も相当大切じゃないかしら。

綺麗になったのも良いんだけどしかしフィルムで観たい映画が山ほどある。モノクロ作品は特に。
でもフィルム上映できる映画館そのものがほとんどないしねいまや。

内容的に色の話とかしてる隙間がないんだけど、しかし色彩からしてもうめっちゃタイプな映画で、フレアの使い方とか、そういうところも内容とちゃんと関係していることなんだけどそれより書くべきところが多すぎて困るくらい内容が凄い映画なのよ。クロエ・ジャオとかテレンス・マリックを想起するような、ほとんど自然光だけでやってますって感じの明かりの具合と、カラーのトーンなんかは相当抑えていて、そんなところにフレアがバッと刺すとことか凄い。

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『ウーマン・トーキング』についての文章の下書きを書いていて、なんか進めば進むだけあれもこれもってとっ散らかってきて、あれわたしめっちゃ好きなんじゃんこの映画って思ったらまた好きになった。

Twitterは変なやつばっかりだわ。Xなんだったか。

グレートあさり さんがブースト

わたし、戦争の犠牲=犬死にという論には与しません。

グレートあさり さんがブースト

なぜ死んだのか。あるいは殺されたのかという問いかけの方がずっとずっと重要でしょ。犬死にという言い方は、論点の設定を端折って答えをあまりに急いでいる気がする。

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『ウーマン・トーキング』が素晴らしかったから二回目観たいんだけど時間がない。

遠野物語ってなんか、藪の中に入ったら大男が寝てました終わりとか、幽霊っぽいのがいたんだけど特に変わったことありません終わりみたいな、でなんなん?みたいなの結構あってそれはそれで良いよね。必ず落ち的なものとかを期待するのもある種現代的な偏った感性なのかも知れないという話。

荒畑寒村『谷中村滅亡史』読了す。
政財界とか言うけれど、まさに資本家と政治家が結託して鉱毒を撒き散らし、森林を伐採し、水害を引き起こし、それらを隠蔽するために一村を滅亡せしめるという日本の権力の悪虐と、その奸計に貶められながらも何十年もの間対峙し続けた人民の闘いの記録。これが全く古びた過去のものなどでは少しもないというのもまたこの国の権力の恐ろしさと腐敗ぶりとを思わせるもの。
“あゝ悪虐なる政府と、暴戻なる資本家階級とを絶滅せよ、平民の膏血を以て彩られたる、彼らの主権者の冠を破砕せよ。而して復讐の冠を以て、その頭を飾らしめよ。”

@Kamala 今適当にツイートしたらツイートに関してはできるっぽいですね。しかしタイムラインは一切見れません💦なんか真逆ですね😅

Twitterがトランスヘイトまみれできつすぎる。

マイメロとアリの誕生日が連続していることに気付いたよ。

今年こそは必ずうんちょこちょこちょこぴーな一年にしよう!

森田芳光監督『それから』を鑑賞。
わりと小説の通りでそのまま引いているセリフも多くみられるけれど、これは言葉遣いそのものが重要な要素であると考えた結果なんだろうなと。
松田優作のキャスティングの勝利ぶり。代助と世の中との距離感ひとつとっても表情とか声のトーンなどで完全に捉えられているし、姪や嫂に見せる崩した顔など完璧だと思う。
藤谷美和子の三千代もすごく好き。信じられないくらいの美しさよ。三千代の虐げられ方やその具合が小説よりも強調されていて、かなりムカつくものではあるがより説得力が出ていると思うのと、三千代という人物の腹の座り方とか強さとか意志が明らかにこの映画からの方がより伝わってくる。そしてこの映画版のラストの三千代の見せ方は次作の『門』により接続しやすくなる解釈が可能だとも思った。
ハイライトシーンの長回しとかモンタージュとか原作の路面電車小説というジャンルの部分の視覚化など、とにかく画面の作り方や緩急など素晴らしいと思った。

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