魔法学区@心斎橋BIGCAT。長谷川白紙のライブにいて身体の場所によって拾っているビートが違うことがままあるのですが、そのような観客の身体に複数の時間を流す試みが明確に意図として解釈できる形になっていて(「草木」ラスサビのボーカルが遅くなりつつビートが速い部分で顕著に)、目をみはりました
2022年冬くらいから?やっていた曲を速く/遅くして楽曲の時間を圧縮/引き延ばしすることの延長のようにも思えて!
重低音が振動としてもがんがんなっていて(でもスピーカーにけっこう近かったので断言する自信はないです)、それもあまりなかったことだと思ったけれど、重低音のなかの「霊位」はそこにいるけれどいないもの/いないけれどいるもの(こういう表現を長谷川白紙は嫌う気もするけれど)、の気配が濃密に立ち上がっているように感じられて、曲の場にいまいる、みたいな気持ちで、入り込んで行くように聴き……
リズムによる時間の複数性の体現は通底していたと思うけれど、とりわけて撤回の終わり、悪魔のビート(悪魔でいままでこんなに明確にビートとして認識できるものはなかった気がする)、草木、で強く感じました