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クィアという語/概念にはいつでも拡張の余地が担保されているべきだけれど、一方で、どのような文脈で蔑称としてのクィアの呼称が生じ、それがいかにして名乗りの戦略として取り返されるようになったか……つまり、クィアの歴史がどのようなものであったかを一切顧みず、歴史を引き受けることもせず、歴史とともに名乗られてきたものを「狭義」のクィア、とするのは簒奪なのではないか、ということ……

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