菊仙が蝶衣を二度振り返る時、
馬鹿な女なら許せないという感情で喚いていただろうけど、彼女は残念ながら頭が良かったので、「しかしはじめに縁を切らせようとしたのは自分だ」だの「日本軍の前で舞わせたのも自分だ」だの考えてしまって「因果応報」を真に受けてしまったのかな。
小樓と縁が切れた蝶衣が法廷で死のうとして奇跡的に助かるのを目の当たりにしてしまったし、自分も"そう"なら首を吊る前に誰かが、何かが助けてくれる、と考えたのかな、菊仙は。
それは少し現実主義の彼女らしくはないか。
法廷で死刑が下されなかった蝶衣はあの時に「時分は舞台で死ぬ」という決意をしたのかな。
決意とまではいかなくても、自分が死ぬのはここではないのか、という気づきのようなぼんやりとしたものでも。
#覇王別姫
覇王別姫のあのラスト、
蝶衣、小楼の化粧の崩れ具合の差はふたりの京劇に対する想いの差ではないか、という考察もあるみたいだけど、
劇中で蝶衣は舞台(役)と現実の区別がついていないと明言されているので、あの状況で覇王項羽から小楼として生きることを選択したのに対して蝶衣は虞美人と一体化しているのを表してると勝手に思ってる
#覇王別姫
『さらば、わが愛 覇王別姫 4K』観た
10代の時に観て以降、初めて再鑑賞かつ初めてスクリーンで観た。こんなにも残酷で美しくて、深く深く悲しい話だったのかと…初めて観た時の感銘よりもずっと強い感情を抱くことができて、今回観に行ってとても良かった。
中国の激動の時代に京劇の虚構の中で翻弄され運命に惑い、「覇王別姫」に重ねられてゆく役者二人の人生。悲しいほどに深く深くなる愛憎。京劇の美しさ、レスリー・チャンの麗しさが、悲しみを際立たせるようで、美しいのにとても残酷。胸がつぶれそう。
日中戦争、文革、紅衛兵の活動…とその苛烈さを少しは理解している今、その中で芸術家が生きる厳しさを思うと大変苦しい。また、芸の虚構の中で生きざるを得なかった主人公の蝶衣の苦しさ哀しさ、時代の変遷で浮かび上がる業も、つらいものがある。
蝶衣、小楼、菊仙の三人が、縮まらない三角関係に見えそうなところ、激動の中で形を変えていくのが、人の面白さ、ままならなさで大変よかった。時には合わせ鏡のようでもあり。そして届かぬ愛のつらさ。本当に圧倒的に悲しく終わるのではあるが。ああ苦しい。
ありがとうございました。ほかの場所で出会いましょう。