寛容と不寛容の話
ユダヤ人の作家が「私たちはホロコーストで、非武装のまま生きられるという幻想を捨てました」と書いた。寛容は不寛容に対して寛容であるべきか、という問いに対して、答える言葉は未だ見つからない。不寛容の存在を認めつつ、なお自らの主張を保ち、血みどろになりながら立つ、という覚悟を持つことは極めて困難だ。曖昧に耐える力、沈黙し、折れず、自らを保つ力について、考えている。自分自身の不完全が見える。それとどう向き合うか、ずっと考える。
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SNS版フライング・ダッチマン