夢日記: 作り物の町二つ 


山が大規模に削られ、露出した斜面の岩肌に新しい家々が作られている。近未来的な箱みたいなデザイン、プラスチック風な材質、色はくすみブルーが基調。見て回る。倉庫?コンテナ?別荘?仮設住宅?形がそれぞれ異なり面白い。でも誰もいない。とんでもない環境破壊や。親戚の会社の保養施設を見つけてびびる。帰ってこの町の経緯を調べるか。

写真を撮り忘れたことに気づいて戻る。さっきと様子が違う。大樹が一本残され、岩肌の両側には田んぼ。作り物のふるさと感。でも映えるだろうな。

トイレつき住宅がプールつきに変わっている。地元の人々に開放され賑わっている。6、7歳のおかっぱ頭の人懐こい少女が話しかけてくる。「下の町から来た」と。

下って斜面のすぐ下じゃないか。突然もう一つの町がある。ここは知多半島のどこかだ。昭和30年代までに建てられたレトロな建物が多い。人が多く、生き生きとしている。特に子どもが多い。服装もなんだか昭和30年代っぽい。
訪ねて回る。雑貨屋、路地裏…。スナックにうっかり侵入してしまい、急いで出る。さっきの少女と他に数人の子がいる。ワイは自己紹介をし、打ち解ける。
おしゃまな子が「あっちにもいい建物があるのよ」と示す。行ってみると、古い木造の商店を図書室に改造した(続 なげーよ

夢日記: 作り物の町二つ その2 

続)施設だ。子どもたちが読書したり遊んだりしている。
しかし本が古い。昭和30年代風。色褪せもひどい。読んで楽しいんだろか?

町のところどころに漂う作り物感。この施設のように、明らかに大人の郷愁を誘う目的で作られた場所も。
たぶん大正村みたいに、古いものを活かして町おこししようとしてるのかな。
そのままでいいのに、充分素敵なのに…とは思うが、そのままを尊べる観光客は少ない。賑やかに見えても実は人口減に悩んだりしているのかもしれない。

帰る時間だ。鉄道駅がある。これまた昭和の路面電車みたいにレトロ。
乗り込む人々と、見送る人々。ホームが活気づき、ワイの子ども時代(昭和後期)までこんな風景あったなと懐かしく感じる。
ワイを見送ってくれる人もいる。中でも一番仲良くなったおかっぱ頭の子が、泣きそうにしている。こっちまで泣きたくなる。「また来るよ」とか言っているうちに、乗り込んできて、なんと発車してしまった。
「往復してあなたを送り届ける。小さな旅だよ」「おうちに連絡しなきゃ」
少女は自宅の電話番号の市外局番を言えない。スマホは市外局番が要るんよ…。検索する。
(その後恒例トイレ探し。以下略)

ところで舞台が岩肌の町から下のレトロな町に切り替わるとき、何だか混乱があった。
よく覚えてない。
起きて反芻しているうちに、ぱっと切り替わったことになってしまった。
脳がそのように処理したようだ。

昔、見た をシェアするメーリングリストに参加していた。
一人の参加者が、何か科学から引用しながら説明していた。
「夢は見ているときにはまとまりのない断片です。目覚めると脳がまとまったストーリーに仕立てるんです」
その人はそれが絶対であるかのように語っていた。いつもストーリー性に富んだ夢を見るワイは、内心反発した。

しかし混乱した一部を脳が片づけてしまうことには賛成する。
きっと目覚めながら混乱をまるごと捉えようとしたら、パンクしちゃうんだ。

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