リンク先「永井均の発言について - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)」より。
“トランスジェンダーの問題を、脱政治化して抽象的な哲学的な議論を展開したいと言う旨の主張である。つまり、生身のトランスを視界から外して、自分たちの知的好奇心から「自認と同一性の関係」を論じる素材としてトランスジェンダーのトピックを使いたいというのである。”
“さて、永井はこのような哲学倫理学分野における、「現場との葛藤」「人々の苦しみにどう向き合うか」という課題を知らなかったのだろうか。/
知っていてなお、人々の苦しみを無視して、抽象的な議論を展開する欲望をあからさまにしているから、私は批判的にこれらの発言を言及せざるを得なかった。永井個人の問題ではなく、今なお哲学倫理学分野に残っている問題として指摘したい。”
https://font-da.hatenablog.jp/entry/2023/12/30/103256
去年、トランス差別本が出版されそうになった騒動があったよね。
そのとき「出版させて議論させればよいのだ」とか、何様?な意見があったよね。ワイも見た。まっとうな批判がかなり出た。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、差別問題の脱政治化に警鐘を鳴らしてくれる内容だよね。(たぶん。まだ途中ですいません)
つながってるね。
目の前で苦しむものたちを踏みつけ、脱臭漂白しちゃう動き。