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『フュリオサ』も復讐の物語だったのと、だからどうしたってMMFRとは違うお話なのはそうだよなと今更に思った。自分が見る前の心構えが違ってたんだな。あと『フュリオサ』で私が引っかかってしまった(物語としておかしいとかではない)人物と似た立場の人が出てきて主人公との関係を見比べたりしていた

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緋牡丹博徒、復讐の物語としてしっかりした作りのお話でよかった。「義理と人情」がこの世界の掟と言いながら上辺だけ取り繕うも普通にある世界で生きていく人達だ。

「フュリオサ」の登場人物 

のジャックについて、マックスに雰囲気が似てると最初の印象は変わらなくてそこはまだもやついてるのだが、ただ「相手自身から見返りを求めずに協力する成人男性」を観てる自分がそんなのあり得なくないか?と何の疑問も無しに思ってしまったんだなと色んな人達の感想読みながら考えてた。それってやっぱり偏見で、多分成人女性ならそう感じなかったろうな。自分の世界の見方の偏りを実感して落ち込む。がんばろう…

自分の考えの柔軟性のなさにううとなる昼 頑ななんだな

「フュリオサ」観てきた 

これ以上ない位の復讐だったのかなとも今は思う。
やった側は何も覚えていない、やられた側はずっとずっと苦しむのに、をずっと貫いていたのはMMFRと繋がる部分だと思った。
バイクや車が砂漠を駆ける姿やエンジン音、そして人物や世界観の作り込みが前作同様に細かくて風景やアクション場面は本当にすごかったなー…前作でもこんな事できるのか!てなってたのに更に色んな場面を見せてくれてすごかった。
観ながら自分はMMFRのどこが好きだったのかな…と考えたし前作が観たくなった。

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無理してレイトで見てきたせいで途中で文章が途切れてた

「フュリオサ」観てきた 

自分が覚えてた(記憶があやふやでもしかして想像だったのか…?)フュリオサの過去と今回の映画とで微妙に違うので混乱したのが本音かもしれない。「私を覚えてる?」の意味が自分の想像するものと違ってたことが言い方が悪いけど意味が薄まった気がして…。ジョーが母親を殺した敵であり片腕を切り取った奴だと思ってたら全然違う人だったのか。行きて帰りし道程で自身の復讐を遂げるMMFRの感じが好きだった。フュリオサの本編自体は復讐譚として成立してたのかなと思うけど、その「思ってたんと違う」を最後まで自分は払拭できなかった…。

ヴァルキリーが友達?幼馴染?だったのは嬉しかったな。再会の時の意味合いがこちらは深まったと感じる。マックス(だよね?!)のほんの少しのニアミスにあらーとなったりした。若干蛇足な気もしたけど…

彼女の最初の理解者がマックスと少し雰囲気が似てるのが、似てなくてもよかったのになーみたいな失礼なことを感じてた。協力者であろうと死んでしまう無常さはそうかー…となった。

ディメンタスへの復讐、最初は正直気持ち悪くて、そいつの養分の入ったものワイヴス達に食べされるのかと思ってたのだけど、死すら生温くて、資源が枯渇している世界で、そして何より自分を結局は物として扱う相手への返しとしては

「フュリオサ」観るのもう少し先でいいかなと思ってたけど、他の人達の感想というか雰囲気に自分がのまれそうな気がするので今日観る。時間帯が豊富なうちに観ないと見逃しそうなのもある

『関心領域』の登場人物の 

ヘートヴィヒのお母さん、近所だったかの知り合いが革命家だったか思想家だったかで(台詞も内容もあやふや)あぁ怖いみたいなこと話して、あの家のカーテン欲しかったけど他の人に取られてしまったと世間話で話す場面、もうそういう感覚でそういうものだと思ってるからなんだな。そんな彼女でさえも隣から響く銃声や悲鳴や夜も絶えない煙を見るのは耐えられなかったのが印象的だった。ヘートヴィヒはこんな世の中で「楽園」を築いたのだから手放したくない(それが収容所の隣からだとしても)て上手く言葉に出来ないけど割り切りがあったのかな。酷いことが行われていると分かりながら恩恵を受けることを受け入れている。あの銃声や悲鳴を環境音位まで割り切って聞いていたのかなそこは分からない。お手伝いさんへの最後ら辺の言葉もそういう価値観や常識が馴染んでしまったのかな。彼女が望む望まないに関わらず。あそこもしんどかった。

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8月『モンキー·マン』上映嬉しい~ ほんとに上映してももっと先だと思ってたから尚更よ…

あと『関心領域』観てて(映画の作りの話) 

冒頭タイトルの後に段々と真っ暗になって音楽だけ流れるのが予想より長くて「これはもしかして映像トラブル…?」とほんの少し心配でそわついてしまったの今思うと恥ずかしかった…。映画自体が見えている「外」の音について考えるものだったからそういうものだとすぐに察せられなかった

淡々とした映像で時々画面が真っ赤になったり「現在」が出てくるのとかすごいなあと思いつつそれ以上上手く考えがまとまらなかった。現在の遺品の数と写真は思ってた以上に気持ちが沈んだ

なんというか、そこで何が起きてるか詳しく知らないであろう子供達であってもその価値観から逃れられないんだな、それはそうか、て思った。悲しいというかそうなんだろうなあていう納得みたいなのがあった。

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上手く文章に出来ない…。その時の「当たり前」や「常識」みたいなのが結構あっさりと(じわじわなのかもだけど)それが非人道的や倫理的に駄目なことであっても受け入れてしまうんだな。分かってはいたけどそこはやっぱりどうしても怖かった。自分もそこにいたらそうなってしまうんだろうなあ、と思えて落ち込んだ。自分の価値観に自信がないので周りの言う事そのまま信じてしまうから。
というのも監督がそのような意図で作ったみたいなことを事前に聞いてたからそう感じた、みたいなのもかなりあると思う。でも監督のそういうインタビューやアカデミーでの言葉で観ようと思ったのもあるからそこはもうほんとどうしようもない

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『関心領域』観てきた。人は慣れる生き物で自分と異なる他人をそうしてもいいものだと周りが決めれば結構簡単にそういう振る舞いをしてしまうんだなというのを改めて感じた。

馬場のぼる展で素敵だーってなった絵画が『ねこのせかい』という本の表紙なのを知ったので本屋さんで取り寄せお願いしてきた。11ぴきのねこの二作目も一緒に取り寄せした楽しみ

グッズも売っててどれもかわいい~とはなるもいやこれ買っても使わないでしょ落ち着きなさいと別の自分が囁くので留まれたけどあほうどりが描かれてるクリアファイルと好きなイラストのポストカードは買っちゃった。全然自制出来てない。マラソンのイラストのポストカードなんてあったら買ってしまう(書き込みの膨大さと人物達それぞれ物語があるのがほんとすごい)

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馬場のぼる展を観てきた。作者のいくつかの絵本がリトグラフという方法で作られててその解説と実物を拝見したけど、この過程で色を指定したり完成した絵を想像できるのすごいなあ…となってた。絵本や漫画から絵画まであって、アクリル絵画の柔らかい色合いがとても素敵だった。水彩の滲みや透明さもよかった。スケッチもいくつか展示されてたけどそれが当然なのだろうけどめちゃくちゃ上手くて(猫のスケッチの少ない線で的確に形作られてるものだったり、軒下のスケッチの緻密さとか)だからこそ漫画や絵本での少ない線で魅力的で洗練された描く描けるんだなあと思った。
なんて言いながら作品自体は11ぴきのねこの一と二を読んだかな位と絵の本をぱらぱら見た程だったので、きちんと絵本も見たり読んだり出来て楽しかった。11ぴきのねこは二作目が好きかな。あほうどりがとてもかわいい。
アクリル絵でとても素敵だーってなったやつがあってそれを特にまじまじ見てしまった。タイトルもおかしくてかわいかったな…ねこと植物のやつ…(もう忘れてるけど)

戦争映画なので日本軍の加害の場面も出てくるので気落ちはしたけどでもそういうの普通に描いてくれてよかったなとも同時に思った。戦争映画前より観ると落ち込むから観ない方がいい気もするし映画という媒体を通してやっぱり戦争は嫌だと感じる位しても良いのではとも思ったりして頭がぐるぐるしてる

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あとちらっと他の方の感想読んだとおり、日本語にも字幕をつけてほしい…とは思ったな。何となく分かっても細かい部分が聞き取れない所がいくつかあったので

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『無名』昨日観てきた。スパイてあそこまでして自分の立場を隠さないとやれないのかと思った(感想…?)時系列を敢えて変えてるのが上手くいっているかはよく分からなかったけど個人的には好きでした。ただ最後の最後の本編場面はそこまでいれなくても…とも思う。空白を楽しむ作品ではないんだなと思った。
トニー・レオンの眉を下げながら困ったように笑う仕草や、愛しい人を見つめる表情にやっぱりどうしても素敵だなあと感じた。衣装替えも沢山で色んな表情もアクションも見れてそこは楽しかった

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