サラリーマン忠臣蔵とても久し振りに見返して楽しかった〜。大団円!て感じで明るく終わる。しかし何度見ても寺岡君の無邪気な穏やかさにいいなあ〜となりつつ、女性のこととなると途端に(本人も言ってるけど)「封建的」になるの、これから大丈夫なんかと勝手に心配になる。時代としてこの感覚が今よりもっと多かったのは分かりつつも
1968年だった間違えた
事件の事実を知るまでが本編でその後の絶対あったであろう大変な出来事は「その後の経緯は長い年月に渡り色々あったが」のナレーションで終わって少し拍子抜けした。ただ元になった事件読むと戦中なのもあり裁判が長年に渡ったからなのか…。
「どういう形かは分かりませんが戦争さえ終われば二度と、もう二度とこんなひどい事件は起きないだろうし、」て元木弁護士が言っていたのに現実そうではないのも実感としてあるし、後のナレーションでも「対象的なものの見方をすれば戦争は終わったが世の中の機構や仕組みは案外それほど変わらなかったのかもしれない」と話してるのでそうだよなという悲しい納得がある。特典に載ってた監督のコメントの「事件そのものはあの狂気のような戦争の時代には、悲しいことだがごくくありふれた事実だったと云えよう。」も、変わらなさというものの重さを感じた。
「首(1964)」を観てる。不当な理由で逮捕されて暴力の末ころされた、ただひたすら不正をした側が悪いのにそれを正すためには法を犯さないと出来ないこの不均衡さにひたすら落ち込みながら観てる。ただサスペンスの演出されてるのでとても面白い
「花つみ日記」を観た。女学生二人の可愛くも切ない友情…後半からのすれ違いに切なさでたまらなくなってしまった。前半のほがらか…!かわいい…とほわほわしていたから尚更。とてもとても仲良しだったからこそ一度離れてしまうと仲直りは難しくなるのかもしれない。でも二人ともずっと仲良くいたかった気持ちはずっとあったのだよね…。最後みつるさんが栄ちゃんから目を逸らして離れて座るところ胸苦しくなった。
こちらも戦中映画だったけど後半全面に出征の場面が出てくるので人々の感覚に当時はやっぱりこういう感じだったのかな、それとも物語の中で誇張されたりするのだろうかとぐるぐる考えてしまった。「ううん、嬉しいの」はそれだけでないと思ってるけど、違うのかもしれない。「〜応援団長」も音楽に纏わるお話だったけど、こちらは音楽があの時の楽しい一時を思い出させるものになっていた。
「お父さんはね、野球を商売に利用してるのよ」「ひでちゃんも利用されてるのよ」て話されて、秀子ちゃんはふーんと言うだけだったけど胸中を思うと苦しいな。(本編の内容に触れます)父親が自分の仕事に野球、ひいては(応援歌で球団を応援したことで世間に注目された)自分の娘が有効だから会社の野球も一転推奨するし始球式にも出る子供達に混ざって野球したり観戦にも行ったりするの、調子がよすぎるなと不覚にもいなばさんの演技もあって笑ってしまったけど若干嫌悪感もあり…だけど最後の観戦してあの応援歌を歌ってる光景観るとそこを経て単純に好きになってきてるのかもしれないかなという気持ちになった。そうであったら素敵なことだと思った。
戦中の映画なので球団のエースが出征してたり病気の親に変わって家の家事きょうだいのお世話をする少年が普通に出てきて「〇〇だから頑張ろうね」みたいな、何となく戦中だからこそな場面に身構えてしまったりもしたけどそこは気になる程だった気がする。
英才教育に熱の入る両親に強いられる姉妹にううっとなりつつ従順ぽく見えたお姉ちゃんもこっそり習い事サボってたりもしてて、へこたれなさみたいなのがよかったな…今回の事で姉妹が伸び伸びと毎日過ごせる日々が多くなればいいな〜
「秀子の応援団長」を観た。自分の応援が誰かに利用されたり心の拠り所になりすぎることで悩んで、だけど最後には(少し言葉が違うけれど)純粋に応援することが出来て、秀子ちゃんよかった〜…てじんわりした。
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