じゅじゅつの続きを読んだ。お兄ちゃんが、自分は面白くない、でも弟達がそう言われるのは許せないてどこまでも弟達のことを思う気持ちになんだか目頭にくる。兄の自己卑下とか自己犠牲とも違う感触で、上手く言えないけど弟達の可能性を信じて、そして信じれなかった自分が悪いと話す感じるお兄ちゃんのその感情に泣いてしまうー 戦うお兄ちゃんめちゃくちゃ格好よかった
じゅじゅつ読み終わったー
最終戦は戦いの進め方みたいなのは説明理解出来ない位とても詳細だったけど個人の結末はどうしても駆け足に感じてしまったな。自分が一気読みしているせいもあるけど。
自分は部品で、死ぬときに意味あるもの(人に沢山囲まれて死ぬというおじいちゃんの遺言に沿って)になることが大事だと思ってたけどそうではない(それだけではない、かな)という結末にしたのは素敵だったなと思えた。何気ない周りの人達との会話、ぼんやり覚えている何気ない風景、そんなものと思う程の景色が(も、かな…)と大事としたのは優しいと感じた。
お兄ちゃんとは数か月の出会いと別れだったけど、その何気ない会話、一番苦しい時に傍に居てくれたこと、それもいたどり君は忘れないでくれるのかなーときょうだい好きなので思うと少し心がほっとするー。でもかなしいーお兄ちゃんずっといたどり君の傍にいてほしかったよ
あと実はついったでの知識でお兄ちゃんの言語感覚どういうことなのとなっていたのだけどこの言葉の使い方不意打ちで笑ってしまうのだけどくせになるのでずるい。生死のかかる戦いでそんな言葉遣いする人いるのかいたんだとはっとしてしまう。呪霊である脹相は受肉体の知識を借りてるから現代に蘇っても不便なく過ごせると知ったので受肉体の人はアニメや漫画の知識が豊富だったんだろうな