これ本当そう思う。
「面白くないしダメ」
じゃなくて
「面白い(かもしれないけど)ダメ」
と言わないと。
あんまり面白いと思ったことないしずっと嫌いだったけど。
属性としての「センス」に還流する人が多すぎる。
近年繰り返し指摘されている、後輩芸人に対する松本の「優しさ」は、ダウンタウン以降にリフレッシュ・再強化された芸人共同体だけが、彼の不安を払拭し得るものになっているからだろう。共同体の内側には極めて優しく情に厚い人間が、その外側にいる者を人間扱いしないような事例は、あまりにもありふれている(戦後民主主義は、これを克服し得ただろうか?)。言うまでもなく、そういう暴力は、公共圏や市民社会において肯定されてはいけない。
しかし、このような共同体の作法から、芸人ではない日本の「市民」たちははたして脱却しているのか、そもそもそれは脱却し得るものなのかという疑問が、自分自身も対象にした上で、どうしてもぼくのなかに湧いてくる。ウェブを見渡してみるだけでも、思想信条の如何に関わらず、仲間やお友だちの共同体がそこら中に乱立している。そこでは例えば、批評や思想のようなものがあたかも演芸のように、ただ共同体をリフレッシュし再強化するものとして、機能したりはしていないか?共同体の外側に対して、あくまで一個人として向かい合おうとするような気概を持つ人間が、はたしてどれだけいるだろうか?
↓だってさ(Xの投稿 https://x.com/roni20000830/status/1738931851623084162?s=46&t=RC-lfPynCykmllp8TwpH3A) 名古屋の人よろ
25日夜は、名古屋で『パレスチナに涙を🩸Tears for Palestine』を行います。
12月25日18:00-19:30
@久屋大通公園 希望の広場
15時からは、コメダ珈琲セントラルパーク店で、『パレスチナへの連帯を示すための、編んだり縫ったりするワーク』を行います🪡🧶
『映画 窓ぎわのトットちゃん』
ポケモンDLCもせずに2回目観てきた。アニメーションの質が本当に高いのだが、いわゆるシンエイ動画が手掛けてるようなディフォルメの効いたキャラクター達(ドラえもんやクレヨンしんちゃんなど)による動きの気持ち良さとは全く別物。
ヴィジュアルから想像できないかもしれないけど、まるで優れたデッサンが動いてるような、肉体の実在性を強く感じさせる。それが会議室のニオイがしない子供の描写と合わさって、ちょっとビックリするようなアニメーション体験になってる。
あとなんかナショジオで観る日本を題材にしたドキュメンタリー的な客観性が終始一貫してて、これジブリのヒト、特に鈴木敏夫とかは観たら歯軋りしてると思う。パヤオや高畑勲が商業的観点から出来なかったであろう語り口とアニメーションがあると言っていいと思う
HOMEめっちゃいいなあ。沖縄の3人組かあ。
https://ototoy.jp/news/113529
しかしこのオトトイの記事、「80'sを彷彿とさせるギターサウンド」ちゅうのがなんかモヤるな。
起源はたしかにその辺だと思うけど、この人らのサウンドメイキングこそ、10年代からこっち世界中で流行りに流行ってるやつだよね。そういうのをキャッチアップしつつ自分たちの色を出せていて、ようするにちゃんと勉強してるってことだと思う。
なんか、海外の音楽をあまり聴かない聴き手を想定してるのかな。そんなふうなシーンになってしまっているってことだったら、嫌だな。
Born in 2000. Based in Nagoya,Japan. Queer