@ayano_ayano@toot.blue
おめでとうございます👏🎉
創作って構成を考えてる時間が一番大変なんだ。調べて勉強して、アイデアたくさん出して推敲に推敲を重ねてやっと着手できる。
映画ちひろさん見た。見た直後は、心があったかくなっていい映画だったなあくらいの感想だったのだが「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」の言葉と共に映画に批判的な感想をみかけて衝撃を受けた。恥ずかしながら初めてその言葉を知って、調べて、過去作品にそういった記号的なキャラクターがたくさんいたことにもビックリした。あまりに「ちひろさん」過ぎている。寒気がした。
原作と前日譚にあたる作品を学生の頃読んで、当時は(家族であっても理解し合えないこと、それを悲観しなくていい)みたいな価値観に触れてすごく救われた記憶がある。
今は、作品が持つ違和感を何が問題であるか認識できていなかったことにも怖くなっている。セックスワーカーの問題も、男性/女性の構造的な差別の問題もなんら解消できてない現代で、Netflixちひろさんはあまりにも(足りない)ように感じる。
まあ、1980年前後というのはまだ兵役で現役だった人も仕事の現役で、世論も護憲、漫画家も実体験として戦時がベースにある人のほうが多かったから色々と描いてたけど(中国残留孤児だって80年代の問題だし)、やっぱり殆ど被害体験なんだよね。日帝の加害性や戦争責任に言及したのは数えるくらいしかないと思う。まあはだしのゲンの特異なとこでもある。あと水木しげるの一部と石坂啓くらい?しか覚えがない。
漫画だから当然子供向けが主体なわけで、どうしたって子供の話になれば被害体験しかなくなるしねえ。小国民世代自身が沖縄を除けばほぼ戦地の体験がないから(満州なども引き上げの記憶で語られがち)刷り込まれてきた「美化された日本軍」を描きがちになるよねという。
保坂正康が指摘してたけれど、戦後の回顧録の類い、初期は参謀や司令官の回顧録ばっかりで昭和50年代から徐々に兵下士官の回想録や証言が出てくるようになるらしい。皆行社の南京調査はでかかったのかもしれない。共有できる機会が結構限られてきた(たぶん米の意志も含めて意図的にという背景がありそう)。
The1975のMattyの件、彼が(不快にさせてごめんね的に)謝罪しないくらいには誠実だ。ということに過去のインタビュー記事やメディアでの発言を見返しながら改めて気づいた。
よく考えたんだけど、やっぱり来日公演には行こうと思う。The1975ファンである私がすべきなのは、彼の発言がどういった文脈で出てきたのかそして彼の属性からバックボーンを辿って日本にいては知り得なかったことを学ぶことだと思う。簡単に自分の中でキャンセルするんじゃなくて。
最近は「口に出す」ことの取り返しのつかない途方もなさをよく考える。彼の言ったことはとんでもなくショックだったし許せない。それも含めて1ファンとして何か糧にできたらいいな。
イラストレーターの懇親会に参加したんだけど、話題はフリーランサーにとってホットなトピック「インボイス」について。私も多少は学んでいたので会話についていけないってことはなかったんだけど、思ってたよりみんな冷静でちょっと驚いた。「クライアントとの兼ね合いで登録する予定だ」とか「もう少し様子を見るつもりだ」とか。
なんか...みんな、多分フリーランスとしてずっと続けていける人達なんだな...と私は寂しくなってしまった。私は不安しかないし、正直インボイスをきちんと理解することもできずに巻き込まれて逃げられなくなっていくんだろうなって思う。お上にきちんと抗議して、現実も見つつ生き続ける準備もして、そして仕事もする。何でそんなにみんな器用なんだよォ🥺
作品の中にマイノリティやたらモチーフで出すけどなんかフラットすぎてズレてるよね、みたいのって前から感じてたけど、結局他人事で、ほんとフラットな興味で、このキャラをこの設定にしたらどうだろう?みたいな神様の気持ちで作ってたんだろうなと思う。自分ごとじゃないから作れる物語もあるけど、リアルで差別的な言説の拡散に寄与できるような無関心さというかクールさにはやっぱり違和感覚える。
テッテ的に詰めたいとかそーゆーのはないんだけど、やっぱりそれくらいの関心の持ち方でしたよね、ですよねー。みたいな。お話のコマとしては興味あるんだろうけどリアルに生きてる当事者の苦悩とか喜びとかには興味あんまりないんだろなってのが。なんとなくわかってたけど、悲しいほど明らかになった感じ。
パブコメかいた!自分の身体を守るための選択肢を国から制限されているなんてやっぱりおかしいと思う。OTC化に賛成の立場でコメント提出しました✍️
話は変わるけど、今回の行動は自分の人生の中で最も政治的な行動だったような気がする!働きだすまでちっとも政治に興味がなかった所からSNSを通して少しずつ学んでいって、最近は自分の言葉で発信できるようになった。少しずつだけど成長できている実感がある。これからも選挙権を持つ、1主権者として政治と向き合い考え続けたい。
Born in 2000. Based in Nagoya,Japan.
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