終始一貫して経営側からの論理。働く側にとっての視点がない。どのような働き方が良いかではなく「どのような雇い方が都合が良いか」の理屈でしかないのであり、働く立場の国民はこういう視点には最大限の警戒心を持つべきだろう。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/305f12555f114fab5724b7f58aedc92a0f088a58
パレスチナに唯一残るクフィーヤ工場ヒルバウィーのインスタ投稿の一文に息がつまりそうになる。
The violence in the West Bank, the ongoing genocide in Gaza, and the horrific attacks that erase entire bodies without a trace are the daily reality we face. For 76 long years, our people have endured this suffering, yet we hold on to hope, faith, and resilience.
「西岸地区における暴力、ガザで進行中の虐殺、そして身体をまるごと跡形もなく消してしまう恐ろしい攻撃は私たちが直面している日常の現実です。76年間、われわれはこの苦難に耐えてきて、それでもまだ希望に、信じることに、立ち直る力にしがみついています」
それでもクフィーヤを織っているとのこと。糸のあいだに祈りを織り込んでいる、と。
私は私だしあんたはあんただしあいつはあいつ。ただそれぞれに色んなラベルがついている。国籍だの民族だのってのはそんなラベルの一つであり、まあその他にも出身校とか色々あるだろうけど重要なのは『その人』でありラベルはその人を構成する要素ってだけのどうでもイイものだ。(ただし、そういうのは「みんな同じ」として「同調圧力」とか「同化強制」というもの容易に転化するので取り扱いには注意が必要)と思ってきたところはある。
まあどうでもイイと思っていたといってもそれを恥じていたわけではない。
まあ誇っていたこともないが、ご先祖さんから引き継いできたものでもある以上、それなりの扱いをしなきゃいけないとは思っている感じ。
国とか民族とかに対してはどうでもイイと思ってるというか帰属意識があまりないというか。自分を構成する要素の一つとしてのルーツは大切にしておきたいとは思ってるけど。
そういうラベルの一つを医療タダ乗りのように敵視されアイツらがやったみたいな関じでカジュアルに犯罪者のように言われ、周りの多くがそんな話を明に暗に許容してたり軽い冗談のノリでヘラヘラ笑ってるの見せられるのは、、、非常に不安だし不快。そして隠さないといけないように感じさせられるのには怒りも感じる。
なんだテメーらって感じで。
そんな感じ。
維新の本質は単なるネオリベではなく、官民を問わないエリート至上主義(ネオサッチャリズム)。教育の専門家ではなく、スポーツや実業で成功した「エリート」ならば何でも上手くやれるはずだという傲慢な思い込みがある。実際には餅屋でなければ餅は作れないが、彼らは無視する。 https://twitter.com/ohtsubakiyuko/status/1835254732543443302
坂東から帰洛したみやこのムジナ