絶愛、あふれるパッションのおもむくまま出口のない恋愛哲学のような問答をずっと続けていてキャラクター達は(作中でも突っ込まれてる通り)『装置』か『駒』というかんじだったんだけど、彼らの未来を描いたり物語を紡ぐことではなく、彼らを通して言葉にならない言葉を発して遊び尽くすこと自体が目的に見えるので、可愛いお人形さんの四肢がもげたり心神喪失するまで遊び尽くしてお人形さんのアイデンティティを揺らがすレベルで壊したり、そもそも操者が疲れたり遊ぶのに飽きてしまったらもうそれ以上の上演は無理なんですよね………
でもこういう詩的だったり哲学的だったりするコンテンツや問答自体は一定の年齢だったり特定の環境にあったりする人間にはまあまあ必要なものだと私は思っていて、そういう読み手を牽引するだけのパワーは作品から溢れているし(終盤はそうでもなかった)(拓人の半身不随前後からあからさまにパワーが落ちたように思える)でもそれって作者と読者双方にある種純粋な体力が無ければ続けていくのは難しいものだろうというのもわかるため、この未完みたいな終わり方も仕方ないんだろうな〜………になった
絶愛
南條晃司「こんな くそくだらねえ独占欲と自分かわいさがあんたの苦しみや悲しみより大事なんだよ」
「あんたを縛りつけたいためにてめえの腕を切り落として見せつけてみたり…」
「いくら優しそうなフリをしたってあたの気持ちを一番に考えてるフリをしたって 結局は変わっちゃいねーんだ こーゆー男なんだよ!!」
「もうこんな事をしゃべるだけでうっとうしいだけだからよせって脳ミソは命令してんのに」
「嫌われるだけだからおとなしくしてろと叫んでるのに!!」
「なんで俺はこんなにバカなんだよ…!!」
とか、
渋谷克己「人を愛する事の王道論において『自分より他人の事を大切に想う事』ってのがあるけど」「その王道にも前提としてまず自己確立した人間でなければ恋愛はただの依存になるから」「まず自分ありきな上で相手を大切に想う」
泉拓人「……ただ『好き』なだけじゃだめなのか?」
とか、やってることの勢いに反して意外なほど愛とか恋というものに対して冷静というか一歩引いた視線が感じられて、彼らの愚かさに自覚的なのが妙で面白かったな…
偏見かもしれないけど普通もっとこういう内容なら距離感見失って酔っ払っててもおかしくないのに
まあ冷静に酔っ払ったまま終わった結果とも思えるけど……
マジで主役二人の『ストーリー』で総括できそうな部分が本当に無くて、カタルシスがないので困っている……
一応、拓人から晃司に初めて「好き」と告げるエピソードがあるので落とし所としてはそこなのかなあ〜とは思うんだけど、それだと初回からやってる親世代からの『愛』の話のオチとしてはちょっとお粗末に見えるので、難しいな〜…
ただ私の場合33円で読んでこれだけ楽しませてもらったんだから文句とかは全然無いです
ある種の歴史書みたいでそこはすごく面白かったし