@chino_eureka 中国の人々が、人民服を着ていたころ。
「朝の景色」として自転車の大群が写されていた。
もちろん鉄道網もあったけど、正に大動脈。広大な大地を繋ぐ事が目的だった。
人々の「足」は自転車。 住居も、工場も、農地もその行動範囲にあった。
『貧しい姿』の扱いだったし、高度経済成長後の日本には素敵には映らなかった。
でも、アレこそが「人間の暮らし」の正しい姿だったのだ、と思う。
排ガスは問題にならない、「危険な工場」や、原発は作れない。
もしもの時は、人間の暮らしは全て成り立たなくなるのだから。
なんせ自転車で行ける範囲に「全て」があるから。
所が、中国政府自身がソレを否定する。
「工業立国」の道を選ぶのだ。
この国土の狭い日本は、戦後直ぐに「工業立国」を邁進した。
中国は広大だから、人民を飢えさせる事なく工業と農業を両立させたが
日本に同じ事は無理だ。
その上、アメリカ追従がスタンダードだから自動車🚗と、道路の整備が先行して
第一次産業は衰退の一途を辿る。
生き残りを賭けた農業、水産業が生み出した「付加価値」が、工業すら衰退する日本の「売り」なのは、強烈な皮肉だ。
原発に代表される「電気神話」がまやかしなのも、指摘しておきたい。