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食べ終えた。洗い物も全部やった。

ちゃんと日々やることやって真面目に暮らしてたら悔いなく死ねるかな、と思うけど、現実は、徐々に脳に酸素が行かなくなって苦しくて死んだり、クモ膜下出血やら心筋梗塞やらでのたうち回って死んだり、癌が全身に転移して痛くて死んだり、事故や事件に遭って訳が分からないうちに死んだり、のような碌でもない最期しかないような気もする。それでも、死がどんなにクソのようなものであれ、それはとりあえずカッコで括って見ないふりをして背を向けて、生に何かしらの楽しみを見出せるうちは楽しむ、生きて何かできることを楽しむしかないのでしょう。

あと30年くらいなのか、20年くらいなのか、10年くらいなのか、数年なのか1年くらいなのかそんなくらいも無いのかこの直後に急変して死ぬのか分からないけど、そんなことを心配して身体がこわばって何もできないのは損としか言いようがない。

「楽しむ」は別に利己的なことだけじゃなく、もっと広い意味で、他人の幸せを祈ることも、他人の不幸を憤ることも、「楽しむ」。そういうことを生き生きと生きる、という意味で「楽しむ」。そうありたい。そうできるだろうか?

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