ウィメンズマーチで上げられた、即時停戦や社会的マイノリティの人権を求める声について、「それ専用の場を作って叫べば良い/フェミニズムにあれこれ詰め込むな」という趣旨のお粗末な酷い投稿が目に余るほどある。 言うまでもないが、ガザにも、LGBTQ+にも、身障者にも、女性は居る。人種差別も植民地主義も健常者主義も、性差別と切り離せない問題である。 自分たちしか「フェミニズム」の範囲に認めない姿勢は選民思想だ。自分たち以外の「女性」を見捨てる姿勢は排外主義だ。 遠藤周作著『沈黙』に、「日本には思想が根付かない 植えても根腐れする」というくだり(作中ではキリスト教を指しており、民主主義のメタファーとしても語られてきた)があるが、フェミニズムもそうなっていると最近よく思う。日本人でシスヘテロで健常者の女性だけ、つまり現代日本の家父長制社会からお目溢ししてもらえそうな「"普通の日本人"の女性」だけのものとして、フェミニズムは歪められた。 こうしたマジョリティ女性のみを救済対象とした「フェミニズム」を欧米諸国では「ホワイトフェミニズム」と名付けたが、日本にも間違いなくこれはある。私はこれを「やまとフェミニズム」と呼んでいる。 フェミニズムが根腐れしていく一方、「やまとフェミニズム」は危険なほどに根付き始めている。 2/2