ツイッターばかり入り浸っていたことを反省(?)し、アカウントを持っているSNSを毎日、じゅんぐり、渡り歩いては読んだりしてます。
いまさっき、Facebookのコミュニティページを読んでいたら、観光で訪れた方が、幼い娘さんのお気に入りの「アヒルのぬいぐるみ」をどこかに置き忘れた、という話をポストしてて、「娘がすごく大切にしてるぬいぐるみなので、もし見かけたら連絡ください。」とありました。
そしたら「わたし、XXXでこれを見かけましたよ!」というポストが。「そこは私たち家族が寄った場所です!」という返信。
地元民、その情報に色めきだって、何人もがそこまで見に行ってあげたり、その場所の代表番号に電話をかけて確認してあげたりしてた。残念ながら、もうそこにはなかったみたいなんだけど、その場所にはアヒルを探して電話がいくつもきてたらしい。会ったこともない他人同士なのに、大勢がその子の「アヒルのぬいぐるみ」の捜査に協力してるのを見かけて、なんだか、心温まったわ。
こういう、ともすれば、ちょっとお節介なところが、実は、人間のいいところなんだよね。
@abarthmen ちょうどいい塩梅の距離感って、ものすごく大事だなと思います。近づきすぎると、こちらから離れたくなるし、遠すぎると、そのまま疎遠になったり・・・難しいですよね。
@abarthmen でも、ときどき、日本語のツイッター上でも、「○○をどこかに置き忘れたらしく、こどもが悲しんでいます、みかけたら教えてください」みたいな投稿に、ツイッター民が一丸となって捜索に協力してるのをみたこともあるから、世界はみんな、根はいいひとたちが多いんだと思います。ふつうにいい人達でいたいよね。
@TrinityNYC まったくですねえ。
日本においては、「組織」が邪魔してる気がしてます。
部活、町内会…etc 、あ、家族もそう。
お節介を「ありがたがったり」「強制」したり。
すごく狭いナショナリズムが幅をきかせて、台無しにしてしまうパターンを感じます。
個人の「思いやり」だと、いい話なのになあ。