映画は、ヨーロッパ近代初期の牧歌的な農村と都市の風景から幕を開ける。この風物詩的な描写は、労働と生活、自然の完結した自己調和が交錯する場であり、ディドロらが作った『百科全書』の背後にある哲学と、初期資本主義の理想と夢に基づいている。
しかし、この美しい風景は次第に変貌を遂げ、第二次世界大戦の壊滅と死、そして廃墟へと変容する。英国軍事工場、飛行場、爆撃機の製造、そして空爆の映像が、時間をかけて慎重に描かれる。ここには、科学技術の進展、莫大な資本の結集、多岐にわたる物資の供給、そして無数の大量労働の形態が集約されている。
この過程を通して、幸せな始まりの記憶と終焉としての破滅の記憶が二重に重なる時代の象徴が浮かび上がる。資本の集約は世界化されている以上、連合国と枢軸国、〈自由〉と〈ファシズム〉の対立は、むしろ後景に退く。現代とは、このような時代の複雑な交錯を表しているのかもしれない。そして、私たちの時代の『百科全書』──18世紀のそれは生産の自然史/誌だったが──が取り得る形は、この映画に描かれたような多面的な姿であるかもしれない。セルゲイ・ロズニツァ「破壊の自然史/誌」のこの構造は、人類の進展と退廃、理想と現実の間の微妙なバランスを鮮やかに描き出している。