ありがとうございます。いえいえ、先生のトゥートにはほんとうにさまざま知らないことを教えられており、感謝しています。
小場瀬卓三との一時期までの繋がりが野沢協先生のイメージをかなり決定したことは間違いないと思います。したがって、そう見なされて疎んじられたことは事実としてもあるのだと思います。小場瀬の葬儀の際に喪主の奥さまから、「あなたが夫のいのちを縮めたのだ」と詰られてきた、というのはご家族から後日にうかがったことでした。
野沢先生が脱党されたのは70年代になってからとご家族より聞いています。しかしそれまでに長い逡巡と共産党への不信などが続いていたことが、ついに〈教会内寛容〉をめぐるジュリユーとベールの根本的な対立の深い関心へと先生の歩みを方向づけたことは、先生の内部で間違いなく深く繋がっていたと思います。
お返事を拝読し、ニザン訳のあとがきをあらためて読み直してみました。そこには、三宅先生のご指摘なさる野沢先生の「情熱」の理由がまさにご自身で間接的に書かれているように思います。
ニザンとサルトル、そして野沢協先生をつなぐ線は間違いなくあると思います。大江健三郎への怒りは、「大江は学生運動に一度も実質的にコミットしたことはなかったのに、嘘をつく」ことでした。いまの東大仏文と繋がるかも知れませんね。