鯨類SFのプシスファイラでは自我を伝えることに成功していたけれど、思考が編集されて出力され、その過程で変質してしまうのが現行の言語なのなら、これ以上に「意味」「ニュアンス」を伝えられる完全な言語はないのかもしれない
というか、自我や思考が伝えられるようになった世界で、なんらかの思いを伝える際に、敢えて言語に載せるっていうのは「編集された気持ちをあなたに見せたい」「あなたのために思考を編集する手間をかけたい」という、状況によっては強い愛情表現になるのでは
思考や自我が伝えられる世界って、現代の人間が普段行っている言語活動がほぼ要らなくなるから、脳の使い方そのものが変化しないといけないのかもあと、他者に事物を隠すって文化は消えるのかも
思考や自我を伝えられる世界って「他者と明け透けに全てを共有できる世界」だけれど、他者の行った体験を共有するのも容易になるから、そのぶん「自分の肉体で体験する」をより重視する世の中になるんじゃないだろうか?
シュールレアリズムのような抽象化された絵が主流になった世界があったとして、敢えて写実的な絵を描くことが重視されるような、全ての五感体験を共有できる故に、他者の思考に彩られていない「フレッシュな」体験を望むとか
というか、自我や思考を共有できるようになったら、他者の見ている世界が自分とまるっきり異なる「認識の多様性」も発生しそうクオリアの違いというか意識を持っていない人間とかもひょっとしたら
自我、己の全てを他者と共有できるようになった世界で、「自分だけのもの」はどれだけ尊重されうるだろうか
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