当たり前体操第二段だが、多少間違えたとしてもある程度流れで弾けるようになれば、そりゃ曲奏とかの話できるのよな
ある昔の先生が「社会人しながらだけど、一年とか掛ければかなりの曲は弾けるだけの実力はありますよ」と評してくださった。し、多分クオリティ無視すればなんとなく独力で弾くことは出来ると思う。
じゃあなんで「習う」のか?自分が(弾くのが)好きなのはクラシックで、わたしは弾くなら理解して弾きたい。それにはそれぞれの楽曲を理解するには自分では知識不足。そこで「先生」が必要になる。
「弾くだけ」ならひとりでもいい。でもわたしは、背景が知りたいんだよね。例えるなら、前人未踏の登山ルートを見つけたいのではなく、過去のアルピニストたちが見つけた登山ルートをトレースしたい。どんな苦難があったのか、どんな工夫をしたのか、なぜそこを目指すのか。「軌跡」を感じたいんだと思った。
ベートーヴェンが自身の耳の障害を抱えながら、ピアノという楽器が改良されることで、それまで自分の頭のなかにあっただけの楽曲が表現可能になる。それは現代ピアノしか知らない現代人には想像するしかないわけで。どんな思いをこのメロディーに託したのかなと想像する過程が楽しいんだろうな、とつらつら考える帰り道。
週一のレッスンはもはや生活習慣の一部ではあるけど、やっぱり続けてるのは好きだからなんだよなぁと、改めて再認識。