別の語り部がいった。「母は、行政もチッソも赦すといった。しかしそれは、水に流す、忘れるということではない。私を傷つけたあなたを人間として受け入れるから、あなたも同じ人間として私の痛みを知って二度と痛みを経験する人が出ない未来を一緒に作ってくれ、という相手への突き付けにも似た、最後の覚悟の祈りなのです」と。
「ゆるす」という言葉は、漢字では「許」と「赦」の二つがあてられる。前者は許可する意で、後者は本来許可できない悪いことをした相手をせめないことだ。水俣では「赦す」というその女性患者と出会い人生が変えられていった加害者側の人が少なからずいた。人は自分が酷いことをしたとき、赦されてはじめて、自分の罪と痛みと責任に向き合えることもあるのだろう。(次回は12月6日掲載)
引用終わり
東京新聞2022年11月29日(火)
生と死をめぐる 和解と赦し(上)
水俣と福島で 加害側に「痛みと責任」促す。
石原明子(熊本大大学院准教授)
以下一部引用
水俣病公害を経験した水俣は、地域経済を支える企業の工場排水中の有機水銀で、多くの命が奪われて病や障害を負う被害が起こった。加害者も被害者も地域の人。複雑な関係の中で地域の人々は分断した。「私の父ちゃんを返してくれ」。そう叫んでも、血の通った答えが返ってこない行政や企業との闘いの果てに、「赦す」という言葉が被害者から生まれた地域でもある。
福島との交流の中で、ある水俣の語り部の方は、水俣病の認定をめぐる十年の行政との闘いを語り、「今私は、過ちに向き合ってくれた行政を赦す」と締めくくった。それを聞いた福島からの参加者が、絞り出すように言った。「赦す方向に私も向かいたいけれど、私は怒りと恨みでいっぱいで、とても赦せるとは思えないのです」。語り部の方が答えた。「怒り、恨んでいいと思います。赦すというのは、怒りと悲しみを真に知る者にのみ与えられる特権だからです」。
<続く>
つぶれた家、餓死した牛の骨…。原発事故被災地のいま
https://youtu.be/VRYrXxDkPRk
知人のジャーナリスト、青木美希さんの8分30秒ほどの取材報告です。自分で動画作品を作ったときも思ったことですが、写真と比べて、動画から得られる情報量はとても多く、現場の空気を伝えるのは有効だと思います。
2020年3月15日、双葉町立双葉北小学校。震災から9年が過ぎたこの日も、卒業式の準備がされたままだった。2022年8月30日、避難指示解除。しかしこの学校が再開することはないだろう。
#なかったことにさせない #原発事故 #双葉町 #nucleardisaster #fukushima #journalism
2020年3月14日、大野駅。五輪延期決定前の聖火リレーに強引に間に合わせたかのような常磐線全通のこの日は、駅周辺の案内看板が非常にわかりづらく、メディア関係者でさえも立入禁止区域に入り込んでいた。
2022年6月30日、避難指示解除。大野駅周辺はフォローアップ除染が行われたものの、まだまだ多くの場所で高線量の場所が存在する。
#なかったことにさせない #原発事故 #大熊町 #nucleardisaster #fukushima #journalism
2020年3月15日、夜ノ森駅東口。ここは今も特定復興再生拠点区域で、立入は自由なものの、居住は禁止されている。毎年春になると桜まつりで賑わうが、祭りと廃墟のギャップに戸惑う人は多いのではないか。
現在はバリケードは撤去され、この家も解体され跡形もない。
#なかったことにさせない #原発事故 #富岡町 #nucleardisaster #fukushima #journalism
2020年6月7日、大熊町下野上大野。敷地内の空間線量は3μSv/hに迫るほどだった。2022年6月30日避難指示解除。11月5日時点では若干線量は下がったものの、店舗も車もそのままだった。
#なかったことにさせない #原発事故 #大熊町 #nucleardisaster #fukushima #journalism
グループディレクトリ、ディレクトリの意味がよくわからない。
2020年6月7日、大熊町野上秋葉台。当時1.5〜2.5μSv/h。2022年6月30日、避難指示解除。11月5日に再び歩いたところ、0.8〜2.0μSv/hほど。フォローアップ除染された箇所もあれば、自然減衰しただけと思われる場所もある。
2020年10月25日、双葉町両竹。フレコンバッグの脇で、ここでも稲作の実証実験が行われた。農家を置き去りに、農政局と役場が突っ走って。果たしてこれは復興か。
2020年6月7日、大熊町下野上金谷平。荒れ果てた農地の先に震災直後から残された軽トラック。緑に溢れた風景の中で線量計が鳴り響く。2.45μSv/h。2022年6月30日、避難指示解除。
坂本龍一に関する記事はこれまで一度だけWIREDに書いたことがあった。Sónar 2018でカールステン・ニコライとの対談を聞いて、掛け合いが楽しかったからこれは記事という形で持ち帰らないとって編集部に連絡した。
カールステン・ニコライの語る「音楽の一番美しいところって、それを聴く人たちに対して視覚的なイメージを届けられることなんです。」というくだりは、実は一番翻訳に苦労した所で、実はそこだけ夫に手伝ってもらったのだけど、訳しながら彼は「ベートーヴェンを生んだドイツの音楽家らしい感性だと思うよ」と言っていたっけ。
あと記事でも言及されているアルバム『Glass』は雨の日にバイノーラルで聴くといい感じにトリップできるのでお勧め。雨音と音楽に包まれると自分と周囲の空間の境が完全に溶ける感覚になるので。
出会いから20年、坂本龍一とAlva Notoが語るイメージなき創造の立地点
https://wired.jp/2018/07/21/sakamoto-alvanoto-sonar2018/
「Ryuichi Sakamoto:Playing the Piano 2022」を観ながら、坂本龍一氏の音楽を聴き続けた30年近くを振り返っていた。
新旧を問わず彼の作ったもの、関わったもの、彼自身を作ってきたさまざまな物事を、とりわけ10代半ばから後半は夢中になって追いかけたものだった。クラシック音楽、ジャズ・フュージョン、ロック、映画、音楽、文学、思想…。
一曲一曲が始まるたびに私の眼前に風景が広がる。それぞれの曲に出会い何度も何度も繰り返し聴いた頃に観た、例えば通っていた高校敷地内のバス停にある松の葉から零れ落ちた雨の滴など。そうした日常のなにげない光景やその頃の気持ち、憧れの延長に今の自分はあるのだと改めて感じた。
2020年6月8日、双葉町長塚越田。白山神社。この神社がある小山の周辺は今も非常に放射線量が高い。この当時は5.0μSv/hを超える場所がいくつもあった。2022年8月30日、避難指示解除。ここのフォローアップ除染は、果てしなく続くことだろう。
2019年11月10日、浪江町川添。南上ノ原団地。今は解体され更地となっている。周囲には帰還、移住してきた世帯もあるが、ここは今も夜になると真っ暗で人通りは一切ない。
2020年6月6日、双葉町青年婦人会館。モニタリングポストの数値は1.382μSv/h。駐車されている車はどれも震災直後のまま。
2022年8月30日、避難指示解除。しかしここのモニポは今も1.0μSv/h以上で、車もそのままだ。すぐ近くには122万bq/kg以上に汚染された場所がある。
2020年8月26日、双葉町細谷熊ノ沢。帰還困難区域。原子力災害伝承館と産業交流センターが出来てから、駅前にはレンタサイクルが整備されシャトルバスが稼働し数万人が訪れまるで観光地のようだが、実際には多くのエリアが帰還困難区域であり、一部の避難指示解除後もインフラの整備は乏しく、住む人はほんのわずかだ。
イラストレーター、絵本作家、介護福祉士。福島県双葉郡を主に徒歩で取材しています。延べ480km以上を踏破。東京新聞『見えない放射能を描く→https://note.com/niq/m/mad4aa8cf1bdc 絵本『いぬとふるさと』(SLA全国学校図書館協議会 小学校中学年の部選定図書/旬報社)→https://www.junposha.com/book/b557170.html