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東京新聞2022年11月29日(火)

生と死をめぐる 和解と赦し(上)
水俣と福島で 加害側に「痛みと責任」促す。

石原明子(熊本大大学院准教授)

以下一部引用

 水俣病公害を経験した水俣は、地域経済を支える企業の工場排水中の有機水銀で、多くの命が奪われて病や障害を負う被害が起こった。加害者も被害者も地域の人。複雑な関係の中で地域の人々は分断した。「私の父ちゃんを返してくれ」。そう叫んでも、血の通った答えが返ってこない行政や企業との闘いの果てに、「赦す」という言葉が被害者から生まれた地域でもある。
 福島との交流の中で、ある水俣の語り部の方は、水俣病の認定をめぐる十年の行政との闘いを語り、「今私は、過ちに向き合ってくれた行政を赦す」と締めくくった。それを聞いた福島からの参加者が、絞り出すように言った。「赦す方向に私も向かいたいけれど、私は怒りと恨みでいっぱいで、とても赦せるとは思えないのです」。語り部の方が答えた。「怒り、恨んでいいと思います。赦すというのは、怒りと悲しみを真に知る者にのみ与えられる特権だからです」。

<続く>

 別の語り部がいった。「母は、行政もチッソも赦すといった。しかしそれは、水に流す、忘れるということではない。私を傷つけたあなたを人間として受け入れるから、あなたも同じ人間として私の痛みを知って二度と痛みを経験する人が出ない未来を一緒に作ってくれ、という相手への突き付けにも似た、最後の覚悟の祈りなのです」と。
 「ゆるす」という言葉は、漢字では「許」と「赦」の二つがあてられる。前者は許可する意で、後者は本来許可できない悪いことをした相手をせめないことだ。水俣では「赦す」というその女性患者と出会い人生が変えられていった加害者側の人が少なからずいた。人は自分が酷いことをしたとき、赦されてはじめて、自分の罪と痛みと責任に向き合えることもあるのだろう。(次回は12月6日掲載)

引用終わり

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