新しいものを表示

2021年2月20日、双葉町長塚町西。双葉駅からわずか100m、しかし聖火リレーはこんな場所は走らなかったし、紹介もされなかった。テレビを見て、何も知らない人だけが「福島は復興した」といい、こうした写真を公開する者を「風評加害者」と誹謗中傷する。

2021年2月20日、双葉町立双葉北小学校。放置された車が寂しく佇む。かつては未来を担う子供らが集ったこの場所も、この時はゼネコンの資材置き場と化していた。聖火リレーはこういう場所は走らない。何故なら、ここは為政者にとって福島ではないからだ。

2021年2月21日、双葉町前田。真新しいフレコンバッグが大量に並ぶ。この前を聖火リレーが走ってこそ「福島の光と影」と思うのだが、実際は駅前をぐるぐる回るだけだった。

2020年6月8日、双葉総合運動公園野球場。中間貯蔵施設エリア。名門野球部があった双葉高校は閉校となり、町民のための野球場は放射性廃棄物の仮置場となった。

2020年6月7日、大熊町下野上清水。2011年3月で歩みを止めた町。ここものちに解体され、「なかったこと」にされる。

2020年6月7日、大熊町下野上原。双葉翔陽高校。2017年休校。校庭では、帰らない生徒たちを寂しく一本の樹が待つ。ここもいずれは解体される。

2021年2月20日、双葉駅西口にて。22年春の避難指示解除に向け、西口駅前では復興住宅の整備中だった(この後、避難指示解除は22年8月30日に延期、復興住宅の完成は地盤に問題があることがわかり、10月1日へとずれ込んだ)。当時、駅西口は黒い土嚢に囲まれて外に出ることが出来ず、ここまで来るには大きく迂回する必要があった。

2021年2月20日、双葉町長塚町。晒しもののように10年間放置された店舗から慟哭が聞こえる。

2021年2月20日、双葉町新山富永。福島県内各所から集められた大量の汚染土は、中間貯蔵施設エリアだけでは収まりきらない。そこで生み出されたのが汚染土壌の再利用であり除染なしの避難指示解除。そこに「科学」は存在せず、全ては場当たり的だ。

2021年2月20日、旧双葉町役場から中間貯蔵施設エリアの仮置場を臨む。「放射能デマ」がどうのこうのなんて馬鹿げた話は、ここでは一切ない。

2021年2月20日、双葉町長塚寺内前。放射性プルームが通り抜けたこのエリアは酷く汚染されていて、フォローアップ除染がされた今でも非常に線量が高い。計画ではここは「創生ゾーン」として働く場所になるというが、おそらくそれはずっと遠く先の話だ。

2020年10月25日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。海岸沿いから1km先の1Fを臨む。不可能な「廃炉」という言葉にしがみつき、今もカネを食いつぶし人を被曝させ傷つける。

2020年8月27日、双葉町長塚。解体の同意も取れず放置されたままの廃墟は、2022年8月30日に避難指示解除された後もそこかしこに存在する。

2020年3月15日、富岡町小良ヶ浜深谷。フレコンバッグの向こうは無人の帰還困難区域。テレビではタブーの風景。

2021年2月21日、双葉町前田。0.80、0.84、0.82…汚染土から放出される放射線量が表面に書かれている。この数字は震災前の20倍を超える。健康被害があるかないかは関係ない。震災前と比べてどれだけ汚染されたか。それが「実害」だ。

2021年2月20日、双葉町長塚寺内前。寺内前阿弥陀堂。震災で傾いた社殿は、かろうじてワイヤーで支えられている。1.5μSv/hほど。裏の林はさらに汚染されているが、おそらくそこを除染することは不可能。8月30日の避難指示解除後も、ここは傾いたままだ。

2021年2月20日、双葉町長塚越田。家屋が解体されフレコンバッグに詰め込まれ放射性廃棄物として運ばれる日を待つ。そこに住んでいた人々の様々な想いも詰め込まれ。「とっとと解体してしまえ」という人ばかりが「復興」を喧伝する。

2019年4月6日、浪江町権現堂。避難指示解除から2年、この頃はまだ駅前にこのような廃墟がいくつもあった。片っ端から解体し、そこにあった暮らしをなかったことにして、五輪の聖火リレーがこの町を走り、無人の浪江駅は隈研吾の手によって巨大化する。

2021年2月20日、白山神社より誰一人住まない双葉町を俯瞰する。旧双葉町役場や、その先の小山の向こうには1Fの排気筒も見える。白山神社のある山は放射性プルームが通り抜けた場所と思われ、線量は非常に高い。事故当時、向こうからこちらに向かって大量の放射性物質が流れてきたことを想像すると、生きた心地がしない。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。