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2021年2月20日、双葉町長塚越田。白山神社。この日は、テレビカメラを抱えたメディアが線量計も持たずに来ていた。山肌に近い場所は、当時5μSv/h近い場所もあったのだが(今は除染され、半分程度まで下がっている)。

2020年6月8日、双葉町細谷。中間貯蔵施設エリア。解体された家等はこのように分類されて処分される日を待つ。全ては誰かの財産だったが、原発事故のために「放射性廃棄物」となる。

2021年2月20日、双葉駅西口。この時点で双葉駅西口は復興住宅造成中で、駅から一歩も出ることが出来なかった。目の前には黒いフレコンバッグに「双葉町の未来をはじめよう」と書かれていた。ただの土嚢だが、見た目は最悪だ。

2021年2月20日、双葉町長塚越田。ふたば幼稚園。園舎の中の備品もフレコンバッグに詰め込まれ、ひっそりと解体を待つ。幼稚園の裏は高線量地帯で、場所によって4μSv/hを超える。ここに子どもたちの姿が戻ることはおそらくない。

2021年2月20日、双葉町長塚越田。双葉駅北側、白山神社のある小山にこの防空壕がある。戦後は物置として使われてきた。入り口付近の空間線量は5.0μSv/hに達する。そんな住民の家も今は解体、放射性物質だけが残った。

2021年2月20日、楢葉町。木戸駅から放射性廃棄物の仮置場を臨む。目の前を散歩している二人の心境は如何ばかりか。「福島に呪いをかけた」のは東京電力と国であり、今もかけ続けている。

2021年2月20日、双葉町長塚町。「福島は復興した」「復興半ば」政治家は時と場合によって言葉を使い分け、避難者や双葉郡のリアルを発信する人は「風評加害者」と罵られる。廃墟に佇むこの日本人形は、愚かな人間社会をどう見ているだろう。

2021年2月21日、双葉町前田。汚染土を詰め込んだ真新しいフレコンバッグ。双葉町では今もあちこちでフォローアップ除染が続く。帰還困難区域については手付かずだ。「復興」にはまだ程遠い。

2021年2月20日、双葉町長塚。長命山正福寺。3.11の時点で既に傾いていたが、この年2月13日の地震でさらに倒壊が進んだ。2022年5月解体。

2021年2月20日、双葉町長塚。まどか保育園。元々双葉駅前で最も線量の高い場所だったが、この日は予想もしないポイントで5μSv/h近くまで数値が上がり驚いた。どちらかといえば園庭の中の方が高く、園舎の近くは低かったはずなのに。

この年の2月13日に震度6弱の地震があったので、それが影響しているのかもしれない。2022年5月解体。

2020年8月27日、双葉町両竹より中間貯蔵施設エリアを臨む。先に避難指示解除された中野との境に並ぶ大量の放射性廃棄物。原子力災害伝承館を訪れる子供達に、これが何なのか説明している教員や親はいるだろうか。これらは全て「財産」だった。

2019年11月10日、浪江町権現堂。これらの建物は全て解体された。

東京五輪の聖火リレーは、当初、浪江町では棚塩の水素フィールドのみを走ることになっていた。一年延期されたことで、駅前の廃墟の解体が進み、ルートがこちらに変更された。

2020年3月6日、浪江町酒田上原。浪江町ではこの時期から町営住宅の解体が始まったが、ここも今は更地なのだろうか。

2020年6月6日、双葉町長塚寺内迫。JAふたば総合営農センター。立入規制が緩和されてからしばらくは、ここの空間線量は信じられないほど高かった。フォローアップ除染がされた今も、1.5μSv/h前後はある。2022年8月30日、避難指示解除。

2020年3月15日、双葉町長塚。震災後、地震で壊れたまま放置されていた橋。原発事故さえなければ、こんなことにはならなかった。

2020年3月15日、双葉町長塚。車道中央は1.0μSv/h、しかし両脇は3.0〜4.0μSv/h(現在は解体とフォローアップ除染により半分程度に下がった)。奥に見える小山は、5.0μSv/hを超える場所がいくつもある。ここは放射性プルームが通り抜けた場所。こんな場所にも、線量計も持たずに高校生が訪れる。

2020年3月15日、双葉町長塚。立入規制が緩和された直後は、こんな家があちこちにあった。今は解体され、跡形もなく更地になっている。

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