2020年10月25日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。福島県中の除染で出た汚染土がここに運ばれてくる。ここを見せた方がよほど伝承になる。
2019年4月7日、富岡町新夜ノ森。この当時はこの先はまだ帰還困難区域。しかし桜の話題ばかりで、このことに触れるメディアは少なかった。
2019年4月6日、浪江町谷津田。2020年3月にはこの仮置場から中間貯蔵施設へのフレコンバッグの移動が始まっていた。今はただの更地になっている。
2019年4月6日、浪江町立大堀幼稚園。2020年7月に行われた見学会には、コロナ禍であったために一握りの卒園生しか参加できなかった。2021年解体。
2018年12月8日、富岡町小浜中央。福島県立富岡高校。バドミントンの桃田賢斗も輩出した名門校も、2017年3月に休校となった。
2020年6月6日、大熊町下野上原。双葉翔陽高校。線量は0.3〜1.0μSv/hほど。地震の影響もさほどなく、津波も勿論ここまでは到達していない。2017年3月休校。無念はいかばかりか。
2018年12月8日、富岡町小良ヶ浜。この道の向こうは帰還困難区域。この道は場所によって4.0μSv/hに迫る。かつてここは水田だった。600万かけて水を引いたというこの土地の主人は、「ここに子や孫は連れて来れない、俺の家は俺の代で終わり」と話す。
2022年11月の今も状況はあまり変わってない。
2020年10月25日、双葉町中野。産業交流センター。建物の向こうにはフレコンバッグの仮置場が見える。この目の前を、全国から訪れた子どもたちが走り抜ける姿はまさに異様だ。
2020年6月8日、双葉町前田。4階まで緑で覆われる前田団地。ここでは、防護服姿の住民と遭遇した(僕らも防護服姿)。荒れ果てた自宅に入るには、線量が低くとも防護服を着たくなる。しかし今は、スクリーニング場で配布される防護服を着るだけで「風評加害」呼ばわりされる異常な状態になっている。2022年3月解体。
2019年4月6日、浪江町川添。正西寺。境内は除染され、0.5μSv/hほど。しかしその前の通りには、高線量のホットスポットがある。
2020年6月7日、大熊町下野上清水。1.0μSv/h前後。常磐道近くのこの辺りでは、母娘らしき2人が土を耕していた。人は土と共に生きる。
2020年6月7日、大熊町下野上原。双葉翔陽高校。この高校出身の何人かの人から、過去に二度ほど感謝のメッセージを受け取っている。撮影出来てよかったと思う。2017年3月休校。
2020年6月6日、双葉町新山久保前。双葉厚生病院。周辺は1.5μSv/h前後。つい先日の東京新聞と友人による調査では16万bq/kg近い土壌汚染も見つかっている。駅から伝承館へは、この周辺を抜けていく。大人も子どもも。
2020年3月15日、双葉町長塚。まどか保育園。かつてここにいた子どもたちは、今は中学生か。中には避難したことが記憶にない子や、隠してる子がいるかもしれない。自分の故郷を隠さなくてはいけない社会を作ったのは大人たちだ。
『FUKUSHIMA Memory and Records 20221015/16.』
2022年10月15、16日の双葉、富岡の記録。7分56秒ほどにまとめてみました。
三脚を持って歩くのは大変で、いつもより距離も歩けず帰りは背中の激しい痛みに襲われましたが、それなりのものは出来ました。鳥の声、蟲の声、そして線量計のアラームに耳を澄ましてくれたらと思います。
「復興」とは何か。少しでも考える一助になれば。
イラストレーター、絵本作家、介護福祉士。福島県双葉郡を主に徒歩で取材しています。延べ480km以上を踏破。東京新聞『見えない放射能を描く→https://note.com/niq/m/mad4aa8cf1bdc 絵本『いぬとふるさと』(SLA全国学校図書館協議会 小学校中学年の部選定図書/旬報社)→https://www.junposha.com/book/b557170.html