2020年3月15日、双葉町長塚。まどか保育園。ここは双葉駅前でも特に線量が高いエリアの一つだった。この時でも園庭では4.0μSv/hを超える場所があったが、2021年2月に訪れた際は8.0μSv/h以上まで上がっていた。放射性物質が天候によりどこかから移動したものだと思われた。2022年3月解体。
2020年3月5日、浪江町高瀬。丈六公園。2017年3月に避難指示が解除された後も、ここは何年も荒れ果てたままだった。この当時1.0μSv/h以上あったが、整備されたという今はどうなっただろうか。
2020年10月25日、双葉町細谷熊ノ沢。帰還困難区域。ここはかつて水田だった。伝承館に行っても、そんなストーリーは見えてこない。
2018年5月12日、夜ノ森駅。当時は、このホームよりも東は帰還困難区域。今も、立入規制が緩和されたに過ぎない。
新しい夜ノ森駅のトイレは、この当時の駅舎を模して作られたもの。思い出のある駅舎がトイレとなり「馬鹿にしてるのか」と憤った人の声を聞いている。
2020年10月25日、双葉町細谷。中間貯蔵施設エリア。汚染水タンク等の建設のため伐採された木が積まれている。震災時は1000万〜6000万bq/kg汚染されていたといわれている。奥には6号機の建屋と排気筒が見える。
2020年3月15日、双葉町長塚。まどか保育園。かつては防護服を着て入域した場所も、2020年3月以降は丸腰で入れるようになった。今は解体され、更地となり、放射能だけが残った(ここは除染しても染料は高いまま)。
2020年8月26日、双葉町細谷。中間貯蔵施設エリア。1F敷地内にそびえる汚染水タンク、そして敷地を警備する警備員たち。
2020年6月6日、双葉町新山久保前。双葉厚生病院、双葉准看護学院、ヘルスケアーふたばと3つの施設が一体となったこの場所は、広い範囲で高線量となっている。双葉駅から原子力災害伝承へは、この裏を抜けていくことになる。
2020年3月15日、富岡町小良ヶ浜。ここにあった放射性廃棄物は、今は帰還困難区域の奥へと移動されたという。遮蔽用の土嚢だけが今も現場に残っている。
イラストレーター、絵本作家、介護福祉士。福島県双葉郡を主に徒歩で取材しています。延べ480km以上を踏破。東京新聞『見えない放射能を描く→https://note.com/niq/m/mad4aa8cf1bdc 絵本『いぬとふるさと』(SLA全国学校図書館協議会 小学校中学年の部選定図書/旬報社)→https://www.junposha.com/book/b557170.html