関西弁話者として「知らんけど」をめぐる議論で少し気になることがある。確かに含意としては、確定的な根拠の無さや責任の回避があるといえるのだが、用法としては対話相手を突き放しているのではなく、むしろ分からなさ・不確定さを共有したい感情がある。
「知らんけど」で話が終わるのではなく、その後に相手から「何や、自分も[=あなたも]知らんのかいな!笑」とツッコませるところ(実際にそう言うかどうかは別として)までがセットだと思うのだが、その部分を欠いたところで議論されていることが多いので、ニュアンスが伝わりにくいのではないかと感じる。
「知らんけど」は、「ツッコミ待ちのボケ」の状態、言語学では conative の機能(相手の反応を引き出すための働きかけ機能。動能機能ともいう)として理解するのが適切ではないかと思うのだかどうだろう。
小学生の頃、初めて自分の小遣いで買ったマンガは『Dr. スランプ』(集英社)の第5巻だった。売れていたので最新巻の5巻しか書店に無かったのだ。キャラクターたちが繰り広げる下品で破天荒で、それでいて心がほんわかする、ちょっぴり大人なストーリーだけでなく、精妙でありながら親しみを感じるマシン/メカ/ガジェットのデザイン、モンスターの造形にも魅了された。
鳥山明、SFとファンタジーの世界を子どもたちに拓いてくれたマンガ家でありイラストレーターであった。R.I.P.
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents_amp.html?isbn=4-08-851185-9
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