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関西弁話者として「知らんけど」をめぐる議論で少し気になることがある。確かに含意としては、確定的な根拠の無さや責任の回避があるといえるのだが、用法としては対話相手を突き放しているのではなく、むしろ分からなさ・不確定さを共有したい感情がある。

「知らんけど」で話が終わるのではなく、その後に相手から「何や、自分も[=あなたも]知らんのかいな!笑」とツッコませるところ(実際にそう言うかどうかは別として)までがセットだと思うのだが、その部分を欠いたところで議論されていることが多いので、ニュアンスが伝わりにくいのではないかと感じる。

「知らんけど」は、「ツッコミ待ちのボケ」の状態、言語学では conative の機能(相手の反応を引き出すための働きかけ機能。動能機能ともいう)として理解するのが適切ではないかと思うのだかどうだろう。

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