小学生の頃、初めて自分の小遣いで買ったマンガは『Dr. スランプ』(集英社)の第5巻だった。売れていたので最新巻の5巻しか書店に無かったのだ。キャラクターたちが繰り広げる下品で破天荒で、それでいて心がほんわかする、ちょっぴり大人なストーリーだけでなく、精妙でありながら親しみを感じるマシン/メカ/ガジェットのデザイン、モンスターの造形にも魅了された。
鳥山明、SFとファンタジーの世界を子どもたちに拓いてくれたマンガ家でありイラストレーターであった。R.I.P.
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents_amp.html?isbn=4-08-851185-9
https://www.youtube.com/watch?si=fWJULxsUJSoW4c7y&v=H0pjNtTOZ_g&feature=youtu.be
例の"手話を取り入れた"MVを見ました。
置き換え手話なのは予想通りだったけど、そもそすごく抽象的で翻訳の難しい歌詞を文法も何もなく単語の羅列で表現しており、また表現の早さや大きさも振り付けとしてのスムーズさを重視しているように感じます。
まあ、ろうの人が見てもマジでビタイチ意味がわからないんじゃないでしょうか。日本語の得意な方が字幕つきで見れば分かるかもしれませんが、それはもう手話関係ないよね…。
例えば日本の歌に出てくる英語が、発音の悪さや文法ミスによって英語圏の人に伝わらなくても、それは別にいいと思うのよ。聞かれたらカッコ悪いとは思うけど。
でも手話っていうのは、聴者が抑圧してきた言語なのね。そこが本当に重要で、だから分化盗用とか搾取という指摘が出てくるし、英語を間違えちゃうのとは全然話が違うわけ。例えば単に「カッコいい」「面白い」で歌詞にアイヌ語を入れて、しかもそれが正確じゃないエセアイヌ語だったら大問題でしょ。手話歌の大半はそうなっているんだよ。
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